担任の先生より OT・PT・ST

1102)特別支援学校 日常生活動作(ADL)の支援の重要性

日常生活動作が大事などと、何をいまさら言っているんだ?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。が、先日、同じ学年の先生が愚痴っていたのを聞いて、新たな視点というか、大事さに気づいた訳です。

その先生がおっしゃるには、「相方の先生が排せつ指導に行って、戻ってくるまでに15分以上かかるから、次の授業に間に合わない」とのことでした。

「え…?」

一体、相方はトイレで何をやっているんでしょうか??時間がかかっている児童生徒は誰か聞いてみたら、私も何度か支援に入ったことがある子どもで、要点をおさえてさえいれば、たいてい3分で用を済ませて、出てこられるはずなんです。

【観察してみた】
なんで、そんなに時間がかかるのか?肢体不自由の学部の児童生徒をみていたとき、「丁寧にやっているから」、「お話をしながら、丁寧にやっているから時間がかかる」ということで、その子以外は教員も含めて出待ちする、なんてこともありましたが、同じ類のことかもしれないと思っていました。

しかし、実際に見てみたら全然違っていて、相方先生と子どものいる空間から聞こえてくるのは、「はい(そうだね)」と、「〇〇してください」だけでした。言葉かけが少ないと思いつつ、子どもが今必要な動作、次の動作につなげるための工夫が感じられないのが気になりました。

おそらく、子どもからすると、「何をするのかよく分からない」、「やったことが良かったのかどうか分からない」の連続だったと思います。伝え方や、かかわり方は人それぞれですが、許容範囲におさまっていれば、たいていの子どもは、ある程度それに応じてくれるものだと思います。

やって欲しいことが伝わらずに、それを無理にねじこもうとしている。

子どもに手玉にとられて翻弄されている。

それが、私が感じた印象でした。こりゃ、終わらないし、うまくいかないはずだわ…。

【特別支援学校はOJT的にいい現場かも】
特別支援学校では、ある学級の子どもたちに対して、複数の教員が役割分担しながら支援しています。もちろん、学級担任や副担任を中心にして、ですが。

Aさんの支援は、多くはB先生がやっていて、時々C先生やD先生もやっている。

E組の子どもたちの支援に、F先生とG先生が入っている。

このようなパターンが多いです。ということは、同じ一人の児童生徒、またはグループに対して、複数の支援の方法やパターンが見られるということです。

排せつにしても、おしゃべりしながらやってしまう先生もいれば、端的な言葉かけで済ませてしまう先生もいたりと、「正解はひとつでない」と分かる現場です。

【学びの場】
いろいろな先生の支援の様子を見て、あるときは真似、あるときは話を聞き、自分で調べ、何がいいか、どんなリスクを背負っているか、どんな効果があるか、自分でもできるか、など色々なことを学ぶことができます。

思えば、医療機関でリハをやっていたときは、担当制を敷いていたので、患者さんAにはセラピストBがついていて、AさんにふさわしいB先生のやり方を正解(1つの型)として学ぶことが多かったと思います。それは見方を変えれば偏っているとも言えます。

「評価ができていれば、それに対して何をしてもいいんじゃない?」とよく聞きましたが、実際に一人の患者さんに対して、いろいろなセラピストのアプローチを見るようなことは、ほぼありませんでした。

しかし、学校では入り乱れる子どもと教員の中で、様々なパターンや指導の実際を観察することができます。たとえ、基礎ができていなくても、現場の中で主体的に学ぶうちに、多様なカードや自分の型が手に入るのです。

言い換えれば、周囲から学ばず、一人よがりのことをしていれば、何年の経験年数を積んでも成長せず、「その程度の人」と評価されてしまう、こわい現場とも言えます。