スピーチロックとは、「言葉の拘束」を意味するらしいです。
一方的に指示や命令をする言葉で、これによって児童生徒や患者さん、利用者さんたちが自主的な活動や意思表示の機会を奪われ、精神的な苦痛を感じる、とのこと。
【拘束あれこれ】
拘束(ロック)の種類はいくつかあり、1つはスピーチロックで、言葉で身体的または精神的な行動を抑制すること、2つ目はフィジカルロック、介護衣やベルトなどで物理的な手段で身体の自由を制限すること、3つ目はドラッグロックで、向精神薬などの過剰投与や不適切な投与により、行動を制限することになります。
例えば…
ちょっと待って
座っていて
トイレに一人で行かないで
などです。
自発的に行動している人を、言葉で拘束する、ということです。この拘束は介護や看護で悩みの種になっています。特に転倒に関する問題が深刻で、ベッドや車いすに縛っておくことはできない、自分で立ち上がることを言葉で制止することもはばかられる状況です。
【拘束にあたらないとされる言い回し】
ちょっと待って⇒あと2分待ってくださいね(依頼)
走らないで⇒歩きましょう(推奨)
危ない!⇒止まってください(依頼)
何度言ったらわかるの⇒どうしたらいいと思いますか?
走らないで!でもありがちな言葉で、これについては「歩きましょう」と伝える、制止だけでなく、どうすればいいか伝えることを優先させるということで、(ある程度)納得されていると思います。
しかしですね、「依頼する」という形であれ、「〇分待って」は実用的ではなく、そもそも時間の「分」が分からない段階ではどうすれば?
【自発的】
自発的に動いていいのは、危険が予見できるところでは推奨しにくいし、その子のためにつきっきりになる訳にもいきません。見守りや干渉が過ぎると、いてもらうために意図的に問題を起こす、離れると暴れるなどの依存状態をつくってしまうリスクもあります。
学校で行われる教育は、集団のなかで、ある部分だけ個別、教育課程に基づく学習の枠にはめることを前提に考えられているので、そもそも個別最適とは言い難い面があります。
みんなを手厚く守れない時代になっていく過程で、エッセンシャルワーカーが矛盾を抱えながら、じりじりと押されていくような気がします。
対象者を抑制してはいけない
事故が起きたら見ていた人の責任
お互いを守るには「合意」が必要で、学校ではスクールバスでよく見られます。この場所は教員が直接指導できない場だからこそ、と思うのですが、「移動中立ち上がらないよう、ベルトでとめます。」「自分でシートベルトのボタンをおさないよう、ロックをつけます」を保護者に合意してもらうのです。
ここには、失敗を通して学ぶ機会はありません。失敗したら即アウトなので、仕方なくです。これって、お互いに幸せではない状況だと思うのですが、過剰なまでの「アンチ拘束」は、誰が、何のために言い出したんだろう?と思いませんか??