初任の先生と授業をつくることについて話しているとき、「あれも、これも盛り込みすぎると、ターゲットが曖昧になり、時間が足りなくなり、なんだか分からないまま終わりになる」ということを話していました。
これは、授業をつくるとき、目標がありすぎたり、やりたいことが多すぎたりしないで、論点や学習の展開をシンプルにすることで、ブレずに、時間内に終えられるということだと思います。
リハビリ(OT)の場面でも、評価(アセスメント)をしっかりして、ここぞというポイントを無駄なくつくことが大事だと言われました。
【絞れるか?】
準備万端で、これをやろう!と決めて臨んでも、うまくいかない授業もありました。思ったより反応が良くないとか、想定した動きがでなかったりすることがあるのです。
それについて、なぜだろうと思いつつ、繰り返しやればできるかも、説明を一から丁寧にやれば分かる部分が見つかるかも、と思っても、多くはうまくいきませんでした。
授業はすでに始まっていて、こどもは動きにくいし、ST(サブティーチャー)も突破口が開くのを待っています。「では、こうしましょう!」がその場で出せるでしょうか?思いついたことを実現できる教材はすぐに手に入るでしょうか?
【推敲することの意味】
授業づくりでは、シンプルで一貫性をもたせたいのですが、そこにたどり着くまでに、理想や期待、指導目標のいろいろ、活動のいろいろを考えては捨て、考えては練り上げての過程がすごく大事だと思いました。
想定外の子どもの反応、子どもごとに違う支援、想定しなかった教材の故障…。
それらを乗り越えて次の一手を打ち出すには、経験も有用ですが、あれこれ考えて、一旦封印した引き出しを開けることが効果的。それですべてうまくいったかといえば、そうではありませんが、何度かそれで停滞を抜けて、場面を切り換えて授業をやり遂げることができました。
「無駄なく、失敗しない授業をやりたいのですが、どうやったらいいですか?」と聞かれたことがあります。その時は、以前やった授業の展開を聞いてやれば、大ハズレはないのでしょうが、そうなると、ただ無難な授業をやっつけで進めただけになってしまうと思います。そのような授業は少しの波がたっただけで、簡単に停滞してしまうでしょう。
熟考して計画を作り、教材を準備しても、一発でそれが当たった!なんてことはあまりなく、やりながら「ここを変えよう」「ここは省こう」「これを足してみよう」などの経過があり、子どもと教員の慣れも併せて、「あぁ、これが分かった、できた」と言える授業になってきたと感じられるのです。