会議のなかで、次週あたりに行われる授業の略案の確認が行われました。
略案が出されるときと、出されないときがあります
略案を出す人と、あまり(ほとんど)出さない人がいます。
【略案が出されるとき】
授業内で役割分担があって、それぞれの役割を把握して欲しいとき
授業展開がどうなっているか提示することで、準備や片付けを含む協力を求めるとき
教員だけでなく、児童生徒にも内容を事前に把握してほしい、練習しておいて欲しいと考えるとき
研修の一環で、授業の流れや内容、指導体制の作り方に不備がないか確認したいとき
授業のタイミングや内容に変更があり、周知しておかないと混乱が生じると思われたとき
メインで授業する人が欠けたとき、代わりの先生が困らないように
授業担当(メイン)が集団をいくつかに分けて、それぞれで課題を進めて欲しいとき
【略案なしのとき】
単に、メインで授業する人がズボラ(サブの人が授業が壊れないようにと必死でサポートする)
前と内容が同じなので、阿吽の呼吸でできてしまうとき
授業の場でメインの人が仕切ってやれてしまうとき
予定通りにいくか分からない授業のときで、型をつくるとかえって混乱しそうなとき
思いつくまま挙げてみましたが、理由はいろいろあるんだなぁと気付かされました。それとともに、自分はあまり略案を出さないで、自分が仕切ってしまうか、教材と指導のポイント、やり方を提示するだけで任せてしまうことが多いので、略案を出さないタイプだと自覚できました。
【会議内で確認されたこと】
普段、メインをやらない(やれない?)人が略案を出して、「この先、私がこんな授業をやります」と宣言する機会になったのですが…。
5W1Hが揃っていなくて、することは書いていますが、それに応じて子どもたちがどう動くか、支援に入る教員の動きはどうなるか、さっぱり読みとれないものだったので、「これはどうなっている?」「それをやったら、こうなることが予想されるけれど、どうする?」などの質問や確認が雨あられのように降ってきました。
「ちょっとグレーな部分が多すぎて、良くわからないので、次週もう1度出して説明してください」と伝えて終わりました。(会議時間に授業検討をすると、時間がいくらあっても足りないし、授業者に考えさせる時間を与えず、最適解をみんなで出して終わりになる可能性が高くなる)
【残念】
普段、メインティーチャーをしていないと、自分が与えられた部分さえこなせば、集団の指導に参加したことになり、仕事として寄与したことになると考えている人が、たまにメインになると陥るパターンです。
この授業は何をする時間か明示できている
初めて、その授業に入った人でも、それを見れば概要が分かる設計図になっているか
それぞれが、子どもたちの活動内容を把握して、どんな役割を果たせばいいか見える
メインが急に指導体制を抜けても、代わりの人が理解して運営できる情報が盛り込まれているか
このあたりが抜けていると、略案に限らず、実際に授業をしているうちに「あれ?」「どうする?」が膨らんで、どうにもならない「間(ま)」がやってくることがあります。
綿密に準備していても、「あれ?」は起こりうることなのですが、きちんと中身を理解していれば、対案や打開策を出して、指導にあたる教員集団の力で乗り切ることができます(できる可能性がアップするといったほうが正しいかも)。