授業を安定的に、落ち着いて運営できるようにするにはどうすればいいか。これについて、その瞬間を大事にするならば
その授業を長く、続けてやっている人が実施する。
その授業に応じた能力・経験をもっている先生が担当する。
児童生徒の実態や傾向を把握した先生が担当する。
事前に情報共有でき、授業について言語化できる先生が担当する。
などをおさえていけば、「無難」です。
しかし、あえて集団の授業で、経験年数の浅い先生を前面に出して、授業をすすめてもらっています。これは、どの授業でもできるものではなく、それができる教科、内容であることが条件です。
なぜ、そのような配置(役割分担)にしたかというと、理由があります。
【経験年数の浅い先生のフォーメーション】
10年以上の経験年数がある先生は、待機する児童生徒の安全確保にまわっています。この授業について、スタート時から若手に任せていた訳ではありません。始めは、7割がたベテランで、3割が若手で進めていました。
これまで、子どもの支援をする様子を見たり、授業の進行を客観的にみたりすることで、「観て学べる」と考えていたのですが、どうもそうでもないらしいのです。
自分が与えられた範囲のことをする、全体が何を基準にして動いているか理解できない、見聞きしたことを取り入れて自分を変えていくことが難しい、といったことが課題のようでした。
それに対して、理屈じゃ分からないなら、実際に自分の身体(手)を使ってやってみろ、という答えを出しました。自分たちでやると、自分の守備範囲だけやっていると全体が機能しません。自分の手持ちの知識や技術ではさっぱり通用しません。自分の守備範囲をこえたところにも目を向け、臨機応変にサポートする・されるがないと授業が停滞する、などが分かってきたようです。
それを外から見ながら、困っているところ、無駄な力を使っているところ、子どもの何をアセスメント(評価)するか、そういったことを少しずつ伝えていきました。
【反省会】
それらの取り組みを続けていくなかで、次はどこを分担するか、どうやったらうまくできるのか、当事者同士でプチ反省会をして、情報交換をするようになったみたいです。
子ども同様、教員にも今の段階や状況にふさわしい課題を出さないと、吸収できないこと、受け入れられないことがあると思います。
人の許容度や能力、時間、体力を無視して、「協力すべきだから」、「仕事だから」、「担当だから」とタスクをのっけるのは妥当なのだろうか?と考えることがマイブームになっています。