個別指導計画の評価にあたるところを書いています。これは、夏休みまでの指導について、「どうだったか」文章化するということです。
教科名⇒今学期にこの教科のなかですること⇒することのなかで目標とすること⇒個別に配慮や支援すること⇒評価(どうだったか)
評価は、見たもの、やったことについて記憶をたどり、目標として掲げたものについて振り返ればいいのですから、そんなに難しくありません。しかし、書きながら「あれ?」と思うことがあるのです。目標に準拠した評価が一本の線になってつながっていれば良いのですが、うまくいかないこともあるのです。
【問題点】
・目標がその子にあっていなかった場合、観点がずれていると分かった場合
目標が高すぎる(または低すぎる)と、それに応じた手だても高すぎる(低すぎる)ことになり、遂行しなければ目標と違う評価となり、つじつまが合わなくなる。
・目標を達成するために、あらかじめハードルを下げる
最後の評価で「~できた」と言うために、できる範囲の目標を立て、できる範囲の指導をすることがある。
・目標を達成したと主張できる情報が収集できないことがある
教員によっては、(部分的にでも)目標が達成できているのに、全部できないと認められない、部分的に伸びてきていることに気づかない場合があります。これは勿体ないことなのですが、基準をどこに置くかによって変わりますし、子供の様子を分析する知識や観点や経験の差が影響します。
・隠れたカリキュラムが活きない
ある目標を立てて、やってみたら想定外の成果がでた、集団で授業しているうちに新しい発見があった、といったことは「隠れたカリキュラム」の成果として大事にしていたのですが、近年の目標に準拠した評価が明確にされるにつれ、予定外のものは「的はずれ」なものとして扱われるようになったと思います。今日は、この点が気になりました。
【良い点】
・パターンのような授業が減った
みんなで集まって、同じことをしよう、同じことを経験しようとする授業が減ったと思われます。これは、私が教員になったときに違和感があったもので、同じことをすれば、個々の反応の違いを比較することができます。しかし、個々のニーズに合った指導を模索する機会はどこにあるのだろうか?と。
授業改善と妥当な指導を探求するのはいいのですが、何を変えたらいいか、どう変えたらいいか、何をもってよしとするか判断できないと、なかなか前に進めません。
前に進むには、子どもの様子から情報を引き出す、どの観点をターゲットにするか見極める、より良い指導方法を創造する、といった教員の力量が必要だと思われます。
個別指導計画を作成するうえで、何が必要かは提示されるのですが、実際に授業を行い、評価する教員の成長戦略をどうするのか…?このへんが弱いところかなと感じています。