担任の先生より OT・PT・ST

1147)特別支援学校 作業療法士のための組織マネジメント講座より

作業療法士協会に加入していると、定期的に冊子が送られてきます。

作業療法教科では、「JAOT」というもので、厚さは1cmもありません。今日、それを見ていて、「そうだよな…、これは作業療法士だけでなく、学校の教員にも当てはまることかと思いました。以下、一部を引用してみます。

「最近は仕事よりプライベート重視という若者が増えており、②仕事に対してのパッションや主体性が低下しているスタッフが増えてきている印象です。そんな若手スタッフに対して、③ハラスメントにならないよう言い方に配慮して、あまり強く言えなかったりします。時代に合わせて変化させていかないといけないことをわかっている役職者がかかわり方に難渋する場面も増えており、④求めるところやゴール設定がどうしても低くならざるを得ない状況となっています。これでいいのでしょうか?」

という文章でした。

ちなみに、②や③の数字が入っていますが、①は「自分で考えるというプロセスを経験してもらうためには、どういった方法がよいのでしょうか?」でした。

この課題は、特定の業界だけではないのですね。

まず、パッションや主体性についてですが、確かに、受け身なことが多くて、逐一「見本を見せて欲しい」って顔をしていて、「それは、あなたの担当の時間だから」、「教育実習を思い出してやってみたら」、「ダメもとでやってみる?」なんてことは受け入れがたいようです。

【動けない訳】
・合理的に解決しようにも、どんなプロセスで行動を組み立てていいかイメージがもてない。
・「できた」が当たり前の風潮のなか、失敗することは恥だと思える。
・最近の「個に応じた指導」はアナログで多様。
・何をもって良し、どこまでやればいいか分からない、判断できない。
・自分のすることを同僚等に見られて、どう思われるのかと不安になる。

こんな感じではないでしょうか。私たちは時間割や指導要領などの脇に置きながら、日々の指導をどうやって織りなしていくか、見て、試して、やってみて学習してきました。

それらは、方法論の伝達であることが多かったです。ところが、今は指導技術だけでなく、それが子どもにとって何の意味や価値、目標につながるのかパターンだけでは通用しなくなってきています。

年数を重ねた人は、それなりに時代の流れも飲み込みながら、現代の学校に適応してきた経緯があります。ところが、近年の若者は引き出しが少ない、要求は高くて多い、という難しさに直面しているんだろうなと思います。

【1つの答え】
JAOT2025・8月号のp18では、「最初は手取り、足取り指導する、次に一緒に取り組む、そして、見守り、時に助言する、最後は確認、援助を求められたときのみ助言」と書かれていました。まさに、これだと思います。

学校では、1つ、1回できたらOKではありません。1つの活動をリードできるようになっても、日々の繰り返しのなかで、毎日微妙な違いを受け入れる必要があります。同じ活動だけれど、臨機応変さで対応できる、これが日々の指導をする教員の深さと技術だと思います。