今も、作業療法士の世界に片足を突っ込みながら生活しています。
今の立ち位置がどうなのか?どんな環境に身を置いているのか?自分の考え方は妥当なのか?
それらを見失わないために、1つの場所と視点ではなく、複数の居場所や価値観をもつことが必要だと思っています。教員や作業療法士について、「あ、ここは違うな」と思うことがありますし、「あ、ここは似ている(同じ)な」と思うこともあります。
【職員室のあるある】
よく、行政系(教員含む)は縦割りで、連携が下手、自己完結的だ、などと言われることがあります。
物事を柔軟に、スムーズに進めるにはどうすればいいか、最短距離でゴールに到達するにはどうするか、などと考えるときに、いろいろな部署がキャッチボールしながらすすめていくのがいいのでしょう。
ところが、教員の立場で考えると、朝から午後過ぎまで児童生徒の指導で身動きが取れず、下校後の1時間程度で何ができるのだろうと思うことがあります。
そんななかで、多種多様なタスクをこなすために、仕事をカテゴリ化、部署を決める、担当を決めることで責任の所在を明らかにしているのだ、と思います。
【OTが縦割りをやったら(どうなるか?)】
都道府県で行われている作業療法士の研修会をつくるとき、研修の開催について詳しい人が主になり、その他が追従する感じでやってきましたが、それではよくないとの意見があり、役割分担(校務分掌みたいなもの)をつくることになりました。
すると
学校と同じような人間模様(?)が展開されていると感じました。
「そちらでは、話はどこまで進んでいるんですか?」⇒やってない、アワアワ…。
これについて、どうしましょう?⇒「それは、〇〇さんの担当でしょ」
「それは〇〇さんの担当だから、後で確認してください」
お、この状況やコメントは、学校でしか聞いたことがなかったぞ、みたいな感じで、まるで社会実験の観察をしているように思えました。
【円滑に機能させるには】
構成員の立場は平等で、主従がないということは、立場的に「~するように伝える」、「~を指示・伝達する」が行われにくいと思います。
ところが、実際はこれまでの経験の有無や長さ、得意・不得意があるので、「担当になった=その仕事のエキスパート」とは言えない場合があります。
そんなとき、うまくまわるようにするには…。
責任の所在は曖昧にしない
仕事ごとに最後をどう締めるか共有できている
声をかけあって、後で修正や混乱を避ける
手続きを時系列に並べることは、分かる人or決定権のある人が責任をもってやる
担当ごとに責任はあるけれど、全体の責任は個々にあることを忘れない、等
これらを実現させるには、全体をみてアシストできる人の存在(中堅どころの人が多い)が必要だと思います。
今回の一連の出来事を通じて、「作業療法士だから、すべてにおいてうまくまわせる訳ではない」ということが分かりました。それでも、縦割りの運営の経験を積み重ねるなかで、どれだけの修正や運営システムの構築ができるか…今後どうなるか、楽しみです。