作業療法士をやめ、特別支援学校の教員になり、担任になった1年目は、1年の営みとはどんなものか、登校してから下校まで、1日をどのように過ごすのか知ることができると期待していました。
また、1日だけでなく、1年間をどう組み立てていくのかも知りたかったことなので、とにかく自分の価値観は置いといて、周りをよく見てみようと思っていました。
無我夢中で数か月がたち、どう過ごすのか分かってきたころ、ある違和感がでてきました。
「いまだに、生徒について、何ができて、何が難しいのか線引きができない」
できないことは大体分かりますし、困っていることは分かります。
しかし、何が原因なのか、どこへんから何を始めていいのか、決めきれていないとうことでした。
この原因は何だろう?
当時は担任の役割とは何か、考えることでエネルギーを使っていたので分からなかったのですが、今なら分かります。
【指導の方向性が決められなかった原因】
・組織的にできる、できますと言い続けてきたので、後戻りできない。
・難しい課題設定をして、生徒が困っているのを支援する、ということに教員が満足している。
・困っていれば教員が支援してくれる、何をするか手がかりがない、そのため生徒が指示待ちになる。
それらが、試行錯誤と検証の機会がつくりにくくしていました。
【文化祭担当決定】
文化祭の舞台発表の脚本を誰が書くか、会議のなかで立候補した人がいたので、その教員がやることになりました。
脚本は書きあがりましたが、ベテランの教員から一言、「本当にこれをやるんですか?」と。
その時、私はそれが何を示しているか、正直よく分かりませんでした。
つまり、その先生は「見せるに値するものが出せるのか」、「運用上無理はないか」と指摘したのだと思います。が、自己批判を避け、保護者ウケを狙って何でもできると言い続けてきた教員集団に脚本の案を覆す力はありませんでした。
【部隊練習】
練習は、生徒のできることを見せる、これまで学んできた成果を見せるものではなく、ストーリーに生徒をはめ込んだだけなので、教員と生徒のどちらにも負荷がかかるものでした。
それでも見直されることはなく、下駄を履かせた舞台が完成しました。
【文化祭本番】
教員も生徒も見通しがたたないまま、本番を迎えました。
場面がどんどん変わり、暗幕と照明が繰り返され、台詞も聞き取りにくかった、とのことで
「何をしているのか、全くわからなかった」という酷評を後になって聞きました。
私自身も舞台上で役割を果たしましたが、生徒ごとに「これができた!」という場面もなく、一体何をやっているのか分かりにくく、ただ進めるだけだったことを覚えています。
【その後】
舞台をつくることは楽しいことだと分かったのは、その後です。
いくつかの成功例を経験することで、舞台づくりに必要な観点をいくつも学ぶことができました。
いずれにしても、生徒にどんな活躍を期待するか、それまで何に取り組んできたか、それが舞台発表には必要だと思うのです。
https://magomago1.org/305thebeliefofparentschangesschoolactivities202012/
前回は、「305)特別支援学校の行事は保護者の宗教観によって変わる」でした。
https://magomago1.org/307overworkmakeateachersick202012/
次回は「307)病んできた先生のサインの例」になります。