学校の文化はそうそう変わるものではない。
そう感じることは多々あるのですが、授業力の向上ということで若い世代から徐々に科学的な視点で研究授業が行われるようになってきています。
どんなところかというと…教員もこどもも、ワイワイ言いながらすすめる授業は少なくなりました。
前にたってリードするメインテイーチャー(略してMT)に注目させる。
側からサブティーチャー(略してST)が声をかけすぎると、子どもが前方に注目しにくくなるので、STは後方にまわり、必要なときしかでてこないようにする、などです。
注意があちこちにいってしまう場合、視線の向ける方向を限定するのは効果的だといえます。
しかし、それ故に生じる弊害はないのでしょうか?
【懸念①】
誰でもできる授業でなくなる可能性がある。
厳選された言葉かけ、子どもの様子をみてどこに留意するかなど、緻密な進行が行われる授業は戦略的で効果的で、効率的であることを目指すようになります。
そうなると、普段MTをしている教員が不在になると、交代してやりましょうといいにくいものになります。
【懸念②】
教員の必要人数をはじき出すことにつながる。
「こどもをみんなでみる」という文化が後退し、必要人数を計算して教材研究(準備)時間を捻出するようにと求められるかもしれません。
しかし、最低限度の人数で指導体制を組んでしまうと、個別の排せつの対応、事故などの対応に割けるマンパワーが不足します。(現に下校するまで教員がトイレにいけない、ということにつながっている)
【懸念③】
STの主体性が低下する。
事前にMTとSTが授業の打ち合わせをするのであれば、いつ、何をするか分かるのでSTが個々に考え、適宜対応できるのですが、打ち合わせに割ける時間は常時ないのが通常です。そうなると、「必要があったら声をかけてください。」とSTが指示待ちになる可能性があります。
【懸念④】
授業中でのMTの負担が増大する。
進行と、1人ひとりの児童生徒の観察、などをMTが一手に引き受けることになります。
大勢の前にでること、マルチタスクを発揮するのが苦手な教員はいます。
できると思われる教員に負担が集中するかもしれません。
https://magomago1.org/313theydontneedspecialistprideandmontaing202012/
前回は「313)摂食指導、専門家のドヤ顔にげんなりした話」でした。
https://magomago1.org/315goodsrelayornotforusespecialeducationteacher202012/
次回は「315)どうする?教材の引継ぎ」になります。