学校の文化 担任の先生より

349)特別支援学校 リハビリテーション技士の方が授業観察にきました

特別支援学校で担任をしています。
今日、学校と契約しているリハビリテーション技士の方が教室に来ました

【授業観察】
1人の子どものところにきて、腕やら足やらに触れています。

「あぁ、今日はこの子の観察の日なんだ」

いつ、誰が観察に来るのか、どこ子どもが対象になるのか、回覧でまわってきたりしますが、いつの間にか変更されることもあり、細かいところまで見ていませんでした。

もうすぐ授業が始まります。
整列したり、場を整えたりしていますが、リハビリテーション技士の方はその子から離れません。

触れて、動かして確認することが必要なのかな。
普段からかかわっている訳ではないので、情報は量的に必要な面もあるのでしょう。
そのまま、その子どもについてもらうことになりました。

授業に一緒に入ってもらい、その日はそれで終わりました。

【フィードバック】
観察記録が回覧されてきました。

その子の心身機能面の評価や、考察、仮説はあるのですが、学校に対して、教員に対して、どうすることが必要か、何に留意することが必要か、どんなことを試してみる必要があるのかなどの助言・指導に関する記述はありませんでした。

また、事前に提出した担任の先生の質問に対する回答もありませんでした。

【このモヤモヤ感は何だろう?】
初期評価の、評価の部分だけ渡されて、担任の先生にどうしろと?

評価ができれば目標と手だてはおのずと分かる、というのは技士の世界の話であって、教員の世界にはありません。決められた時間に教室で観察し、記録し、フィードバックを与えるという決められた一連の仕事は達成できたといえます。しかし、やったことは学校現場に吸収されず、「やりました」という実績しか残らない、そんな仕事が専門家として満足できるのでしょうか。

リハビリテーション室での練習なら、自分で評価し、最終的には自分で課題を焦点化できます。しかし、自己完結できない学校コンサルテーションでは対話的に支援することが不可欠です

「この子の課題はそれだよね、このあたりからやってみよう」
このラインまで達するのに、いくつも越えなければならないハードルがあります。
越えられずに頓挫してしまうことも少なくありません。

それでも、「分かっていて、やらない(できない)」と、「知らないのでやらない」には大きな違いがあります。そこに挑むかどうかは別として、気づきと戦略をたてる経験も教員の資質の向上につながるので、「DO(実行する)」にこだわらず、いろいろな方の支援がもらえたらいいなと思う今日この頃です。

https://magomago1.org/348waitingforreplyfromastudent202102/
前回は「348)特別支援学校 「子どもの反応を待つ」ということ」でした。