学校にはいろんな仕事があり、情報が飛び交います。
仕事を始めた頃って、何が自分に関係あるか、関係ないか区別はつかないし、それぞれがどのような枠組みのなかで仕事しているか分からないので、まさに情報におぼれている状態です。
おぼれながら、何かの折にやるべき仕事を取りこぼしたりすることがあります。
「あれ?それってどうするんだっけ?」
「それってどこを見れば分かる?」
「そんな仕事の話があったっけ?」
とにかくやらなければいけないと思い、近くにいる人に聞いてみます。
「この仕事って、どうするんでしたか?」と。
それについて、返ってきたのは「それ、この前の会議資料に出てましたよね?」
これ以上話は続きません。
あなたは途方にくれながら、他の人に聞き、なんとかその仕事を片づけました。
さて、この話を聞いてどう感じたでしょうか。
私は多くの情報を見て、取捨選択する、必要な情報をとどめおくことは結構な集中力と判断力、経験値が必要だと思っています。1年を見通すことができれば時期をみて何がでてくるか、なんとなく予想できたりするからです。
目の前の仕事について聞いてくることについて、情報を当事者意識をもって見ていなかったと言われればそうでしょう。しかし、仕事は個でなく全体で進んでいると考えれば、適宜周りをひっぱりあげ、ひっぱられながら進む、という考え方はできないでしょうか。
教員にも多くの人がいて、得意不得意があり、時期によって多忙になってしまうこともあります。明らかに怠慢な人は相手にしたくありませんが、困っている人がいたら助け合う職場環境であればいいなと思っています。
そうすると、多様な個性があるが故に、誰もが得意なことで主役になり、自分の価値が確認できる職場になるかもと思います。
https://magomago1.org/372thefirstvisittounknownschool202104/
前回は「372)特別支援学校 自分はまだマシ、一緒に積み上げよう」でした。