医療機関(臨床)から学校に入ってみて、驚いたことがいくつかあります。
①児童生徒が大勢いること
医療機関では入院、外来の患者さんについて、40分の枠に1人ずつ重複しないようにあてはめていくことで、「個別」の診療報酬をとっていました。そのため、自主練習の患者さんと、側についてかかわっていく患者さんが重なることはあっても、それ以上の方が同時に集まる、なんてことはありませんでした。
ところが、学校では外来で1人ずつかかわってきたであろう子どもが同時に6人、という感じで一室に集まる訳です。これまで「目の前の子どもの目をみて、反応をみて…」とやっていたことが第一ではなくなり、複数の子どもと、複数の教員がいかに授業等を行うかという「経営」がはじめにくるようになりました。
このことは、単に量的に増えたというだけでなく、質を追求し、1人をしっかりみる、というリハビリテーション技士がもっていた美徳は、「小難しいことをいって、子どもを抱え込む」、「協調性がない」にすりかわってしまうことを意味します。
学校にはいった作業療法士等がぶつかるもの、それは「経営」です。
経営は目に見えるものではなく、外部の専門家等に助言・指導を求める時は、1人の子どもをピックアップして話をするので、分かってもらいにくい部分でもあります。分かってもらえなければ、個別の質を追求した助言・指導をもらうことになり、参考にはなるけれど、運用上全く使えないものが降ってくることになるのです。
②子どものために動くこと
経営や組織的対応が飲み込めないうちは、この点ももどかしく感じます。
医療機関では、患者さんのために必要なことは提案し、確認し、責任をもって実施するということで比較的直線的に物事が進んできたと思います。
しかし、学校では1つ変えるのにボトムアップかつ関連部署にもれなく相談、協議のうえ、どうするか決めることがルールとなっており、スピード感がないと感じます。これは医学的だけでなく保護者対応や集団で運営するなかで起こるリスクの責任を1人に負わせないという役割もあるので、一概に「問題だ」という話ではありません。
また、手続きだけでなく、「これまでの経緯が」、「急な変化は混乱が…」といった変化を嫌う声や、子どもに対する教員の想い、なども話に入ってくるので、そこをどう考えるか、です。摩擦を避けて諦める、戦略的に組織対応になるよう相談と調整をして実現させる、など対応方法は様々です。
いずれにしても、学校では「子どものため」と言われていますが、官僚的組織の特性である「忠誠心は組織」にあることを前提に進んでいることを知る必要があります。これも外部の専門家等には見えにくいところで、「担任なんだから、子どものためにやらないの?」と思われていることは分かるのですが、組織との板挟みになって困ってしまうことも、よくあります。
③支援のチームをどうつくる
支援には直接的な支援と、間接的な支援があります。
特別支援学校では、「指導は教員が行う」とあるので、たとえ子どもを中心に考えたとしても、直接的に支援を行うのは教員です。その他の職種は子どものためと思いながら、間接的な支援になるため、教員が動けなければ意味がなくなることを知らなければなりません。
専門家は「子どものため」と対象となる子どもと、子どもをとりまく環境を見ていますが、直接的支援を行っている教員の評価ができていないことが多いと感じます。
どれだけの子どもを抱えているんだろう?
教員の経験年数は何年くらい?
この学校にきて何年目になるんだろう?
前年度の担任から、何が引き継がれているんだろう?
先生が悩んでいることは何だろう?
どんな学級経営を望んでいるんだろう?
一日をどんなふうに過ごしているんだろう?
おそらく、多くの作業療法士ならば、担任の先生に焦点をしぼって評価するならば、これくらいの評価の観点はでてくるはずです。しかし、悲しいかな多くの専門家の忠誠心は子どもに向いており、担任の先生も支援者の一員として、それ相応の責任を果たせという目で見ているので、なかなか分かって頂けないところです。
【まとめ】
・特別支援学校は個別から集団、だけでなく独自の文化と組織運営の型があること。
・直接的な支援は教員が行い、立場的には対等であっても、教員を乗り越えた話はできない。
・作業療法士の専門性は学校生活を変えることより、より安全に、より効果的になるための留意点を提供すること、学校という環境を広くみて、その中で教員が求めているものをくみとることに使って欲しい。(時には医療者としての科学を使い、時には愚痴を聞き、です。この点は担任になっても変わらないところだと思います。)
前回は「395)特別支援学校 特別支援学校に参画する作業療法士、理学療法士の方々へ①」でした。