リハをしていたころ、臨床では何にしろ意味を調べて、間違いないか定義をしっかりつかんで使うようにしていましたが、学校ではちょっと違います。学校では、なんだこりゃと思えるようなメソッドや指導方法、経験則、感情が飛び交うところです。いちいち批判や吟味をしていたら、キリがありません。
なので、それなりに信頼できて、自分で説明できるものをたくさん持つことが大事です。また、必要に応じて取り出して使えること、アレンジできることが大事です。一時、他の先生がやっていた指導方法をコピーのように真似たことがありますが、自分で納得できていないところがあったり、本当に目の前の児童生徒に学ばせたいことにつながるのか悩んだりしたので、止めてしまいました。
いろんな先生がいろんなことをします。
授業も科目ごとに様々で、1つの単元が終わると別のものに変わります。
一日のなかで頑張るところ、そうでもなくゆっくり過ごすところとメリハリがあります。
このように、状況は変わっていくので、一つひとつを深く堀りさげるのではなく、とにかく手持ちのカードを増やすことが大事です。臨床では40分の間に、目の前の患者さんに対して、これという目標を掲げて、それに応じた妥当性のある治療を心掛けることが大事でしたが、もはやそれは限定的で通用しないことに気が付きました。
【学校作業療法を展開するまでに】
なので、他の先生は、この時間にどんなことをするのか、やっていることの意味は何か、自分だったらどうするかについて、時間をかけて問い続けました。
数年間、そうするうちにどんな授業でも、それなりにできるカードが集まりました。
このあたりから、自分で決めた目標を学校生活のなかで展開できるようになってきました。
学校作業療法のようなものができるには、これくらいの時間がなければ難しいと思います。
コンサルテーションだけでは、運用、調整、改善、中止、変更、引継ぎなど長期的にとりくめる形や、成果がでるまでの継続的な流れをつくることが非常に難しいのです。
【どうすればいいか】
根拠のある、継続的な指導観を定着させるにはどうしたらいいか、今も悩んでいるところです。自分の力量をもっと上げるかと思いましたが、点が線になることはありません。
「自分の考えている指導のイメージを時間をかけて、周囲の支援者に伝える」
「知識にしろ、評価法にしろ、共有できるツールを持ち併せている人を増やす」
これが必要なのかなと思っています。
https://magomago1.org/435alittletrickformakinghimmove202107/
前回は「435)特別支援学校 職員室で仕事を振るには、多少の配慮が要ります」でした。