医師・介護・看護 学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

507)特別支援学校 多職種のなかの担任、どうあるべきか

担任の先生をしていて、気づいたことを思いつくまま書いてみます。

【担任は万能】
担任になったら時間をかけて指導できる、今日はダメでもまた明日。
やってきたことの蓄積があるので、厚みのある実態把握ができます。
文化祭などでは、駐車場係になったりせずに、指導の場にとどまることができます。
自分で確認した実態把握をふまえ、自分で指導の方向性を決めることができます。
複数の児童生徒のなかで休みがでると、通常以外の指導や観察などにじっくり取り組める。

【担任は窮屈】
普段から、自分のいる学年や学級の子どもを、継続的に見続ける。(自分のトイレ、フットワーク…)
書類や提出物、物品管理、環境衛生などの雑務が多い。
子どもにかかわるイベントや企画に顔を出す、またはスタッフとして関与することも。
人間関係や同調圧力、様々な立場の人の間にたつ必要があり、我をはると面倒なことになることも。
保護者とトラブルを抱えても日常の支援を行う立場なので、距離を置く、逃げる、はできない。

【無難さ】
近年、保護者の思いを受け止める、などが過度に課せられる傾向があり、関係がこじれると担任の対応に問題があったという方向にもっていかれがちです。指導力や経験、医療介護系の神の手があればのりきれることも多いですが、特にこれという押しがなく、指導に自信がもてていない先生は保守的になりがちです。一般的または集団での指導を行う、独自性を少なくする、言われたことをする、そうすることでたたかれるリスクを減らす人もいます。

【医療系の専門性は不可欠】
それでも、肢体不自由を主とする特別支援学校では、想像されているように、医療系や介護福祉系の知識・技能から目を反らすことができません

身体の機能や発達段階について、根拠ある説明ができますか?
装具や車椅子のことで、理由もつけてこうして欲しいと保護者に伝えることができますか?
学校で使用している私物の生活雑貨が実態に合っていない場合、それを保護者に伝えられますか?

私は、できることもありますが、できても言えない、できないことがあります
その理由ですが、以下のようなものがあります。

医療系のことを伝えることは根拠と責任を伴う。
診断は医師しかできない。
どこまでやっていいか、線引きが難しいことも。
他職種との意見の相違が原因で、トラブルになることも。
保護者が不快な思いをしたり、怒ってしまったりする可能性も。

【どないする?】
学校内外の人材を活用して、課題や問題の足がかりにすることがあります。
担任:「この活動を希望されている、前からやっているけれど、今はそれが合わない気がする…。」
専門家:「理由ははっきりしているので、そこを伝えるのは担任の先生では難しいでしょう。私がそれについて説明して指導の改善ができるようにしましょう。」

これでうまく着地できればいいのですが、たまに失敗することも。
行き過ぎた助言が保護者にとって強い圧力に感じられることもあります。

そんなとき、担任が為すべきことは①保護者の誤解や解くなど、状況を改善すること②担任のリスクを背負った専門家のフォロー、の二つです。報告などもありますが、現場レベルで意識するのはこれだと思います。

たまに、「保護者との信頼関係が傷ついた、どうしてくれるんだ!」という担任の先生がいますが、余程悪質なものでない限り、そういったクレームを出すのは失礼だと思っています。なぜなら、日常的な関係ができていない、日々の様子を担任ほど見ていない人に、リスクを背負わせたのは紛れもなく担任です。ここで専門家を批判してしまうと、都合よく使って、マズいと簡単に手のひらをかえすことになります。専門家は、その専門性があるが故に存在意義と価値があります。協力者を協力者として今後も必要とするならば、顔に泥をぬってはいけません。