前回、特別支援学校の出し物として舞台発表がある、というお話をさせて頂きました。
今日は、その舞台発表のボリュームが大きい、それをどうしたか、という話にします。
【舞台発表が与える影響】
現場にいる教員によって、感じ方も価値観も違うのを承知したうえで、自分の考えを出してみます。
舞台発表は一から作り、やってみて改善し、それを表に出していく、という流れを体験できるので教育的意義が高いと思います。教員にとって、これも勤務時間をオーバーするものですが、職務として強いられるものよりストレスは少ないのかなと思えます。なぜなら個人にかかる責任が少なく、何の意味があるのか分からないけれど要求される「させられ感」ではない、「主体性」の割合が高いから、だと思います。
話は戻りまして、舞台発表の時間枠を守るのは大変だという話からですが、実はそれだけではなくて、舞台の裏方もどこかの担任の先生がやっていて、受付も駐車場などの保守もどこかの先生がやっています。そのため、舞台に出ない学部の児童生徒は残った教員で指導(管理)しなければならなくなります。このことから、舞台はいいが校内体制全体を見た時に、負荷が高いのでは、という話になりました。
これは、文化祭当日だけでなく、準備期間においても学校組織運営に携わる教員全員が舞台発表のために時間が割かれていき、日常の学校として運営する機能が停滞する、という課題もあったと思います。(それだけ、他にやらなければという仕事が多い?)
「働き方改革」にも影響するので、対応したのかもしれません
教員の労働問題、外力がかからないと動かない主体性のなさ、なんだか恥ずかしい…。
【みんな平等に、は無理】
舞台発表や文化祭全体のボリュームを下げるためにとられた案は、「発表と(学習成果)の展示に分ける」でした。児童生徒の学習成果の発表の場であるので、発表者と参加者に分けるのはふさわしくない、ということだと思われます。
現場の反応ですが、いくつか挙げると以下のようなものになります。
「保護者も楽しみにしているのに、それがないとどうするんだ」
「毎年、これに追われて大変だった、やらないで済むならそれでいい」
「上で決めたことだから、そうすればいいさ」
「文化祭といえば「これ」と思っている子もいる。見通しがたちにくいよね」
「どう運営するんだろう?」
でした。
いろいろな意見がありながら、通知が出され、枠組みが決められ、文化祭は舞台と展示に分かれ、それなりに実施されました。