学校の文化 担任の先生より

530)特別支援学校 教育実習生ロス

教育実習生がこなくなりました
実習期間が終わったのだから、当たり前です。

その後の学級の雰囲気、子どもより大人に影響が大きいなと感じます。
何かというと

①授業の進行が丁寧でなくなった
実習生に分かるように展開を説明し、意味をそれとなく伝え、端的で丁寧な言葉遣いをしていたのが、少し緩んだ気がします。だからと言って、見られていないとできないのかという問題ではありません。

純粋に自分の教育観を伝える機会が失われたから」ではないでしょうか。

②役割分担が元の枠組みに戻った
これまで、①から⑩あった仕事のうち、実習生がきたことで、④を任せてみる、⑤を指導教員と一緒にする、のように仕事の枠組みを実習期間チェンジしました。実習が終わればもとに戻るのですが、やはり慣れというか違和感がしばらくありました。よろしくないのは、実習生が担当し、それを周りの先生が場に応じて指導していた場合です。実習生がいなくなったことで、その仕事の責任の所在が曖昧になり、みんなが忘れてしまってやらなかった、という事態が起こる可能性があります。

③単なる喪失感
普段、多忙感がある学年などにいると、指導は必要ですが一時的にマンパワーが増えたことになります。労力だけでなく、存在も組み入れられるため、いなくなると気分的なロスも、正直あります。ただし、これは、それなりに取り組めた実習生がいた場合で、手がかかっただけの実習生の場合はロスは少なく、淡々と再スタートがきられることが多いです。

【脱線しますが】
教員同士でも、先輩が後輩に…という場合は少し丁寧にやると思うのですが、近年、先輩からの指導もやりにくくなっていると思われます。

なぜかというと、お察しの通り「先輩からというパワハラ」、「価値観の押しつけ」が嫌われる風潮にあるからだと思います。また、昔と比べて丁寧な教員養成課程を出られているので「私できる」という雰囲気を出してくることがあり、先輩からも言いにくくなったというのもあると思います。もともと、教員社会は互いに専門性を尊重し、相互に干渉しない文化をもっており、身近にいる教員より、権威ある人の指導を尊重する傾向が強くなっているとも感じています。

元々、文化を伝えるのが教員の仕事です。教育実習は、現役の教員が比較的純粋な気持ちをもって文化を伝えられる、貴重な機会かもしれません。子どもには?いや、保護者や指導体制や教育観など、いろんな打算や妥協があったりして、意外と純粋になりきれないものです。