「教職員の数が足りない、応援が欲しい。」
特別支援学校の朝、人材確保に追われます。
学級にいる教職員の数は児童生徒の人数と、どんな学級であるか、をもとに決められます。(標準法)「A君とB君、A君のほうがつきっきりに指導しなきゃいけないから、A君のいるクラスを少し手厚くしなくちゃね。」のような配慮は人数配置の段階では行われません。
あくまで、学部や学級の実情をふまえて、現場レベルで調整されるものです。
【人が足りないとされる理由】
①子どもの実態の多様さに、教職員がの対応が追いつかない。
②リスクのある医療的ケアなど、子どもを一抱えにできない事情がある。
③指導はできても集団の経営が苦手という教員の割合が多い。
④MT(前に出て指導する教員)がでると、体制的に余力がなくなり身動きがとれない。
⑤出張や年休取得。
⑥病休などになる先生がいて、そこをフォローする先生(講師等)が見つからない。
⑦個別対応を過度に重視する保護者や教員がいて、マンパワーのバランスがとれない。
などがあります。
肢体不自由の部門だと①、知的の学校だと④が特に多かったかなと思います。
そこへんは、学校によって色々だと思います。
【実態と指導方法はどこまで共有できるか?】
例えば、A教員、B教員、C教員がいて、それぞれ2人の子どもを担当しており、いつも同じように行動していればどうでしょう?その子の実態、一日のルーティン、ADL(日常生活動作)など、すべてにおいて把握できるでしょうか?
答えは、「部分的に把握できるが、全般的に理解することは難しい」です。
実際、同じように行動していれば、大体分かるものだと思っていましたが、正直なところ把握できていない部分が多いと感じます。どこがというと、集団での授業では一同に会して過ごすので、見る範囲で分かるのですが、個別課題の違い、性別の違いによる同性介助、医療的な面でどのようにしているか、保護者との関係性、などについて見られないところがある、というのが正しいです。そのため、一緒にいたから、その学年にいる教員を1人残して、後は校外または学内異動しても大丈夫だろう、と思えるのですが、あくまでそれは断片的なもので、絶対安心というものではありません。
【応援で事足りるか】
例えば、B先生の子どもが熱を出したので、休みをとって一日不在だったとします。A先生のほうがB先生の担当する子どもたちとの接点が多かったので、応援のW先生を含めて4人みるとします。そうなると、A先生は①自分の担当する子ども、②B先生の担当する子ども、③その学年の一日の流れを把握して全体をレールにのせる、④W先生の力量などをふまえてできることを提案する、の4つを同時進行でこなさなければなりません。
翌日、W先生は自分のいる学年に戻っていきました。次にやってきたのはV先生、たまたま担当する子どもが休んだのでと応援にやってきました。A先生の仕事は昨日と同じ、しかし、応援の先生が変わってしまったので、一から同じこと伝えることになり、かつV先生も一見さんなので、そこで得た指導方法と子どもの実態について蓄積することなく過ぎていきます。
レギュラーメンバーの不足が常態化すると、日々の蓄積がないのでその日暮らしになり、発展的に指導を進めることが難しくなります。(足踏みが続くので)
理想なのは、応援であってもコンスタントに入って、応援の先生なりに対応できるようになることです。安定した指導体制を求めて定番のメンバーでかためて、どうしようもない時だけ応援で調整することを続けると、次年度その学級のことが分かる人が誰もいない事態が頻発します。なので、教員は個々の指導基盤を安定させつつ、情報を安定的に共有できる体制を意識することが大事だと思います。