始業時間になると職員朝会が始まります。
ホワイトボードに書かれた、今日の会議等の予定、各部署から周知したいことについて読み上げた後、管理職から連絡事項を経て、全体会議が終わります。
次に各学部の予定と欠席連絡と周知事項があり、最後に学年ごとの打ち合わせに入りますが、児童生徒のお迎えの時間が迫っているので、一日の流れを確認して終わりになります。全体的に朝の会議や打ち合わせは組織的な枠組みと運営について時間が割かれ、児童生徒はどうか、授業でおさえたいことなどについては深く突っ込むことなく、一日がスタートするのです。
【医療・福祉分野での朝の申し送り】
医療機関や施設ごとに進め方は違うと思いますが、部署ごとに担当する利用者(患者)さんの昨夜の様子、病状、受診結果、今後の対応など、スタッフがどうするか確認することではなく、利用者(患者)さんの様子を受けて、どう対応する(した)か確認することが中心になっています。
【何が違うのか】
公務員としての教員と、対象者と自分の専門性に忠誠心をもつ専門家の違いが形になってあらわれていると感じます。公立学校の教員はそれぞれが担当している児童生徒をどうしていくかで枠組みを決めるのではなく、組織人として決められた枠組みのなかで、与えられた役割をいかにして果たすかが重視されています。
一方、医療福祉分野では、自分の専門性は対象者(患者)さんに向けられるもので、効率的で効果的、根拠のある改善案があった場合、ボトムアップで組織の枠組みを曲げることもあります。
こうなると、対照的に見えますが、公立学校もかつては専門家と同様に、児童生徒の指導に責任をもつ教員として発言力がありました。しかし、現在、教員は配当された枠組みに入って、役割を果たすことが重視されるようになっています。
このような対象者をもとに仕事が作れなくなった教員は、「もはや専門家でない」と思われます。
専門性と言われるものは理想像やノルマのように見え、あるときはルールに依存し、あるときはルールを足枷(あしかせ)として忌み嫌う教員は専門家にも公僕にもなりきれない、中途半端な存在かもしれないと思いました。