コロナウィルスの猛威がひとまず落ち着いたということで、各地の大学から教員免許の取得に必要な単位ということで、介護等体験の学生さんがきています。
「最近の学生さん」などと言うと、年長者がエラそうにみたいに言われますが、説明を聞いて、「なるほどね」「そうなんですね」と答えるのはどうかと…。客観的に見て理解しようとする態度ともとれますが、自分という器に、もてあますような重い、未知のものを取り込むことを恐れているのでは?とも思えます。
今日来ていた学生さんも、言葉の使い方はもうひとつで、新しい提案に対して過剰に身構える雰囲気がありました。しかし、児童生徒の対応について、「教材の提案の仕方」や「指導に必要な言葉を選んで使う」などセンスあると感じました。
「できるのに身構えて動かない。才能の出し惜しみをしている。だから、やんな。」と、逃げ道を塞いで、見るのではなく行動する課題を次々と投げました。
【考えて、動く】
行事のビデオを見た時、A先生は始めに上の学年の映像を見たらと言い、B先生は始めに自分自身の映像を見たらと言い、C先生はどちらでもいいと言いました。
後で、学生さんに、それぞれの先生は何を意図していたか考えてもらいました。これに対して誰が正しくて、誰が正しくないという優劣ではなく、価値づけたものが違うことを適切に分析して答えることができました。
子どもの指導にはいい悪いがありますが、何を大事にしているかによって選ぶものが変わります。選択するものについて、メリットとデメリットの両方を兼ね備えている場合、最終的に優先順位をつけて実行するのは自分です。場当たり的な指導は一貫性のない指導になり、積み重ねにならないばかりか、児童生徒を戸惑わせることにもつながります。
「どれも正当な理由があると思うけれど、自分はこういう理由で、これだと思う。」
これが大事です。決めたからには他人を説得できる根拠が必要です。だから学んで、悩んで、経験することによって自分の器を大きくする必要があるのです。
【他と比べることから逃げない】
学生さんには、ビデオを見ながら「あのベテランや子どもを指揮している人、あの人、新卒で2年目の人だよ。」とこっそり教えました。場をしきっている教員がどんな人か伝え、まだスタートラインに立っていない自分との距離を見せました。資質やこれまでの経験の違いもあるかもしれませんが、仕事に就いて数年でこれくらいのことを求められるのだ、という現実。
今回、今のままでいいのか考える宿題をもって帰って頂きました。
人生はこれから。頑張れ。