担任の先生より OT・PT・ST

554)特別支援学校 自閉症教育と、外国からの技能実習生支援で似ているところ

先日、海外にいて、日本で仕事をしたいなーという方に向けてオンラインでのプレゼンをしました。

どこまで伝わったかは、フィードバックを詳しく聞いていないので分かりませんが、同席していた日本の方から「よかった」と言って頂けたので、プレゼントして良かったのかなと思います。

【プレゼンを始めた頃】
プレゼンを始めた頃は、英語が主でしたので、「英語を使って言いたいことを伝える」ことに手一杯で、日本の文化などを説明するために、筋道をたてて、順番に、丁寧に言葉で説明することで良しとしていました。この時のプレゼンは、分かるように説明する、日本語と英語を見比べることができるように並べて表記する、という二点に集中していました。そもそも、英語力も中高生レベルでとまっているので、そんなにたいしたことはできず、毎回辞書をひきながら資料を作っていました。

【参加者の変化】
ところが、参加者の中に英語が主でない国の人もまじってきました。

「これは、まずい」

同じことをしていたら、「なんだかゴチャゴチャと下手くそな英語で喋っているけれど、分からん」と思われるに違いありません。言語もそうですが、国ごとに違う価値観、共有している情報がどれくらいあるか検討がつかない、このままでは分かる参加者と、同席しているだけの参加者がでてきてしまう。みんなが「それは、そうなんだ、へー」と、それなりに満足できる表現が必要だと思いました。

【特別支援教育】
特別支援学校では言語の獲得ができている子、できていない子が一緒に授業を受け、活動に参加しています。私も授業で様々な子どもに向けて授業や教材を準備してきました。

「外国の方にも特別な支援を必要と考えて、同様の教材で伝えることできないか」

英語を含めた言語表現は端的にして、絵や写真を使って、話の流れを見て理解できるもの、視覚的に、聴覚的に構造化されたものをで「分かるもの」にしてみようと考えました。やってみて気づいたのですが、端的に表記すると、「この英語の単語は、日本語にするとコレ」、「この絵は、日本語で表すと、コレ」のように、これから日本に来られる方が日本語を学ぶ手がかりがつかめると分かりました。わざわざ説明しなくても、一文のなかで、1つの英単語だけ色が違っていて、並んでいる日本語も1つだけ色が違っていれば、「これと、これは、同じだな」と分かるようにすることもできます。

【自閉症教育】
詳しい説明は、自閉症関連の本やHPを見て頂ければと思うのですが、普段学校で支援していて、自閉症の特性もあるのですが、知的発達の段階にかかわらず、分かる刺激を選んで伝えることは全く同じではないかと思っています。

「忖度など雰囲気も含めて理解を求めるのではなく、それと分かる直接的な表現で伝える」

これが大事だと思います。「ちゃんとやりなさい」、「だいたいでいいからさ」、「頃合いをみて始めてください」など、日本人がよく使うこれらの表現は、その場に馴染んでいない人にとっては辛い表現だと理解できます。もし、知らない職場にきて、「みんな、それぞれ仕事しているから、あなたも適当に始めててよ。」なんて言われたら困りませんか?それと全く同じだと思います。

自閉症教育では、知的発達の違いこそあれ、5W1H(いつ、誰が、どこで、何を、なぜ、どのように)を言葉で、文字で、図で、シンボルで、指差しで、目の前に見せて、などで伝えます。また、ゴチャゴチャ説明を長くすると混乱するので、動詞や名詞一文字で伝えることがよくあります。動詞一文字は命令形になるので、教員が横柄な態度で指示を出しているように思われることがありますが、シンプルに伝える手段として動詞や名詞を伝えているのを理解して欲しいです…(ここは愚痴です)。

5W1Hのなかで、「なぜ」は自閉症教育のなかでは、言葉が多くて解釈が多様になると混乱するために使用頻度が下がります。しかし、外国の方に対しては「なぜ」は重要だと思います。「動機づけ」がはっきりしないと主体的になれず、1人の人格として尊重されている(指示を受けて使われるだけ)と感じられないと意欲が低下する、などが考えられます。

【最近の資料】
今、誰が見ても、それなりに分かる教材について考えています。

端的な言葉、見て分かる絵、やじるしやアニメーションで展開が分かる、人の顔を使って関係性が分かる、伝えたいことを、どうやったら一番把握しやすくなるか、そんなことを考えています。

英語で日本のことを伝えるだけなら、もっと英語ができる人がやればいい、伝える相手の国のことを知っている人が橋渡しして伝えればいい、なので別に自分でなくてもいいんだよなー、と考え、プレゼンをすることに対してモチベーションが著しく低下していました。しかし、多様な伝え方を駆使する特別支援学校の教員が、「分かるように、できるように」と工夫するだけで価値ある教材が生み出せることを立証してみようと思うことで、その場に踏みとどまることができました。

これから外国人が多く入ってくるであろう日本、日本の学校教員のセカンドキャリアの場が広がりそうな気がしますが、いかがでしょうか?