医師・介護・看護 担任の先生より

563)特別支援学校 子どもの支援は誰がするのか

2021年は日本の超高齢社会に対して、外国の人材をどのように受け入れるかというテーマで勤務時間以外の時間を使って学んできました。

すでに学校には大人社会の都合や社会の変化に伴う波が押し寄せてきているのは明らかです。より広い視点で物事をとらえ、それぞれが取れる責任や役割を個々に担っていくことが大事だと思うようになりました。

なぜ、学校として、組織的にやらないか?

学校から地域に貢献することは推奨されるのですが、いったん始めると能力以上、人的・財政的以上の期待を抱え込もうとすること、社会の流れからズレ始めても止められない・変えられない、担当する領域(学校ならば子ども)に関するものでなければ認められないことが分かっているからです。地域社会や個人が仕組みを作って自立させる、その繰り返しが公共に依存する風潮を和らげると思うのです。(ソフトランディング)(管理されない小さな公共活動)

【私がとりあげた問題点】
事の始まりは、私の両親や私自身の老後を誰が支えるのかと考え始めたことです。

自分の子どもに介護負担や生活圏の制限を負わせることはしたくない、でも、誰かがやらなければならない。子どもについても、保護者が仕事などの生活を支える活動に追われているから、子どもをどうするのかということで学校への依存が高まっています。行政も社会のニーズに応えるためにと、あえて学校に背負わせている部分がかなりあると思われます。

肥大するニーズと、限りある受け皿、ニーズは限りある受け皿の奪い合いにつながり、限りある受け皿は際限なく酷使されて疲弊してきています。パイは増えないのだから、状況はよくなるはずがありません。

生活水準の維持・向上への欲求、落ちてこない雫(お金)、増えない人、そんななかで自助努力?みんなとは言わないまでも頑張っているのに、もっと頑張れと?

この介護ニーズの高まりと、公共機関依存で疲弊する状況を何とかできないか?と考えました。

ネットで検索して、外国人のための介護職人材の育成のグループを見つけて参加しています。

日本の学校教育の枠組みだけにいると、息が詰まりそうでしたが、ここで少し呼吸ができる感覚を得ることができていますし、英語を使う能力も多少アップしました。自分の価値観だけで通用しない異文化に触れ、相互理解のためにどうするか試行錯誤しています。

【子どもは社会的資産】
子どもの出生率が下がっている、年金制度を支えるための次世代が増えない、労働人口の減少など、子どもは個々の存在だけでなく、大きな数(母数)として捉えられます。子どもは大事、だから保護者が頑張れ、保護者は大変だから教員が頑張れと、直接子どもと関係するところに責任を押しつけている状態はいつまで続くのでしょうか?子どもは社会的資産と捉えるならば、縦割り行政的に物事をとらえるのではなくて、大きく物事をとらえて問題を解きほぐすこと、小さくなってしまった地域社会や個人の教育力を、行政の投げ落としてや責任転嫁でない形で育て直すことはできないかと考えています。

疲れている教育公務員の方々、学校に帰属しない個人として能力を発揮して、自分のやりたい社会貢献の形を探ってみませんか?「適正に行え」、「報告書を書け」と言われない仕事(給与はないですが)をもつことで、日常の閉塞感から解放されましょう。

その取り組みで得た経験と人脈は、きっと定年退職後の生活にもいい影響を与えると思います。