担任の先生より

586)特別支援学校 学習履歴のデジタル化

2022年1月の日本教育新聞の記事を見ていて、興味深い記事をみつけました。

学習履歴のデジタル化へ 令和7年度にも環境整備 政府方針」ということでした。

誰の学習履歴のことを指すのだろう?と思って読み進めました。どうやら、児童生徒の学習履歴などのデータを活用する話と、教職員(初等中等教育段階)の免許状や研修履歴の情報管理システムを盛り込む話のようです。

記事では、「児童生徒の学習履歴(学習ログ)などのデータを活用した教育を進めるため」ということで、
主体情報(生年月日、在籍校、成績など)
内容情報(学んだ内容)
活動情報(どのような指導を受けたか)
の三つに分類してログをつくり、本格的な「個別最適な学び」や「協働的な学び」を実現することにしているらしいです。

【似ている】
児童生徒の学習履歴の項目をみていて、個別指導計画に似ていると感じたのは、私だけではないはずです。個指導計画では個別の教育目標を挙げ、年間指導計画に則った学習計画の抜粋を記載し、どのような指導をするか、何に配慮するか、指導してどうだったか、といった流れで書いていきます。どうやら、個別指導計画的な内容を通常学校にも導入するということでしょうか。

言葉遊びになりますが、個別最適は特別支援学校ではずっと前から行われていることです。最近は保護者の要望や想いなども盛り込まれるようになり、昔からほとんど変わらない教員の人数で、いかにして集団の中に子どもをおさめるか苦慮し、個別の学習課題を設定して実施し、専門家のいう質の高い指導や保護者からの(時に不可解な)個別のお作法を受け止めることが仕事になっています。

指導目標や指導の範囲を決め、言語化することは、それらを私が仕事として実施しますと宣言することにつながるようです。私が教員になって驚いたことの1つに「いったん言語化したら、聞いたらやらなければならない」があります。意見を聞いたら、それを吟味して、現状にあてはめて実施するか否か、どのように導入するか検討する余地はないもの、なのだそうです。よく、「~することが必要である」という表現が用いられますが、それは特定の学校や学級で必要だと思われたら実施してね、ではなく、「とにかくみんなやれ」という意味になるようです。

【規格化された環境】
通常学校で、この学習ログの収集をすることに意味があるのかと思います。というのも、基本的に公立の学校(義務教育段階とそうでない高校も含め)では学習指導要領で何を教えるか、教科ごとに何時間の授業を実施するか決められています。また、検定された教科書には指導書が作られていますし、授業をつくる教員の数や一学級ごとの児童生徒数も法律で定められているので、「全国一様」の規格化された枠組みで動いているといえます。

規格化された枠組みのなかで、何十人もいる学級の担任の先生に個別最適の学びをデザインさせる?まず、個別に最適な学びとは何をもってそうだといえるか明らかにする必要があります。次に、それをどうやって学びにつなげていると言うか、その学びにどうやって指導(支援)したか、指導(支援)してどうだったか、ログにするということは、すべて言語化するということです。

指導や支援は誰がやるのでしょうか?誰がその成果を確認するのでしょうか?それを誰が入力するのでしょうか?個別対応が必要と分かったときの支援体制は誰が中心になって構築するのでしょうか?

まさか担任の先生ではないですよね?
いや、このご時世に、まさか、そんなことはないはずです。

個々の要求は際限なく、将来への不安とともに増大していきます。公教育は子ども時代に培う基盤づくりに過ぎず、自立した大人になるまで責任はもてません。多くの人はそれが分からなくなっているようです。