今回、研修(座学)について考えてみたいと思います。
研修にはいろいろな方法があります。しかし、学校でいうところの研修は、それは適正だと認められなければ成り立たないのが現実です。なぜかというと、教員は研修を受けることが仕事⇒どんな研修でも仕事と認めてしまうと、何でも仕事として職務免除や旅費を出さなければならなくなる⇒個人でやっているものを仕事として際限なく認めてしまうのはまずい⇒指定されたもの、学校の研修として適正というものだけ認めよう。
ということになります。この点について、聞いてみたらそうかもと思うのですが、多様性を認め、開かれた学校づくりをするための人材育成(研修)の機会はどこに行ってしまったのでしょう。
【受けたい研修かどうか】
外からの押し付けがましい研修や、理屈だけで日々の教室での様子とかけはなれた研修は不人気です。
それでも仕事だからでてください、予算をとってきてもらっているのだから聞いてください、なんて言われると、仕事がたまっているんだから早く終わってくれ、聞いてもためにならないものに時間を費やすのは無駄だ…などの無気力感が研修会場を覆い始めます。その結果、寝てしまう人が多発します。
【失礼か?】
仕事の一環で研修をしているのに、寝るなんてけしからん!
講師に対して失礼だとは思わないのか!
などという御意見があるのは、至極当然なことです。
しかし、いつ終わるか分からない仕事、定時を過ぎても続けなければ間に合わない仕事を抱え、休憩時間があるのに満足に休むこともできない生活が続いているので、この機会に体を休めたいというのが本音です。教師は子どもが授業で寝ていたら、理由を問わず「それは教師の授業がつまらないからです。」と理由も聞かずに批判するじゃないですか、その批判、内外にかかわらず、教員向けに研修(座学)をしようとする講師の方にそのままお返ししてさしあげます。
「あなたのやっている研修は、自分の言いたいことを言うだけの自己満足でつまらない」と。
【聞きたい研修は何か】
教員が聞きたい研修を狙うあまり、仕事が多くて大変だとか、もっと楽にするなどと言ってはいけません。同席している校長が自分の職場の管理が不行き届きだと批判されていると感じたら、次から呼ばれなくなります。なぜなら、講師を選んで呼ぶ部署が決定しても、校長などがダメと言ったら話がすすまなくなります。そうなると、担当部署の教員の仕事がすすまなくなり、困る⇒呼ばれず、他の講師を探す、となります。
なので、ものは言い方です。
「より効率的に」、「日々の教育実践に自信がもてるように」、「先生方の専門性に一味つけるワサビのように」みたいなニュアンスは無難で大好物です。
講師の言うことが教員のためになる、寝ないで聞く価値があるとセンサーを向けてもらうには
①教員の仕事の実情を少しでも理解して、教員との距離を近くする。
②教員はほめて、批判されることはあっても、承認されることがないので、承認する。
③日々、教員が困っていそうなところを丁寧に説明し、協力者として話すというスタンスをもつ。
伝えるには、言いたいことを言うのではなく、教員の心情やニーズに寄り添うことが大事です。
目の前にいる先生のうち、何人かが寝てしまっていても、無難に、面白く、ためになることを言っていたら、次年度も研修の講師を…と依頼がくるでしょう。毎年呼ばれて、満足感を与えることができていれば親しみもでますし、会場入りするときから「寝ないで話を聞こう」とスイッチをいれてくれるようになるはずです。