担任の先生より

589)特別支援学校 学年が進むにつれ、何をどれだけ頑張るか

発達年齢と生活年齢ってあるじゃないですか。

発達年齢は、歩いているから運動発達的に何歳以上だねとか、とにかく発達の状態がどれくらいの年齢に相当するのかなというもので、生活年齢かもしれませんが、生まれてから何年たちましたというやつです。

【どっちを優先する?】
幼児の頃はアンパンマンやプリキュアなんかが好きな年代だと思います。

目の前にいる高等部の生徒が、アンパンマンとおかあさんといっしょが好きだったとして、「認知発達の段階からして、それくらいが幸せだよね」と言うか、「高校生なんだし、アンパンマンは小学部の時にたくさんやったでしょう、小さい子扱いするのは止めて、年齢相応のことをしようよ」と言うかです。

みなさんは、発達年齢と生活年齢のどちらを重視するタイプですか?
私は余暇は発達年齢、フォーマルな場は生活年齢を重視します。
あとは、それぞれの対応には長所と短所があるので、場に応じて使い分けています。

【ADL】
排せつや食事などの場面では、目標として妥当なテーマを選んでやっていきます。
発達年齢と生活年齢、それらをどのように留意していくか。

それは、学年によって違います。
違う理由について、いくつか列挙してみます。

①可能性
小学1年生は、いろいろな意味で型がきまっておらず、これから認知面や言語、運動について、どう伸びていくか未知数です。なので、今をみて完成形を求めるのはナンセンスです。それでも、日々することなので、とりあえず基準として「やり方」を決めて、精度を高めつつ、変化が見られたら更新する、が望ましいです。また、想定できる「誤学習」を避けていく配慮があれば尚良しです。

一方、高等部になると第二次性徴などを乗り越え、身体の状態やできることなどが見えてきています。この時期になるとチャレンジすることより、正確にできる、環境の変化があってもブレない、が重視されます。生活の仕方が定まってくるので、誰が支援してもできることが大事になります。

②体が大きくなる時期
中学部あたりになると、身体がどんどん大きくなる子がいたりして、それは縦にも横にもありえるんですけど、「これは、大きくなりはじめたぞ?」と感じてから、どうするか考えられる人と、まだ大丈夫だからその時考えようよ、で大きく変わってきます。この場合、先手をうったほうが正解です。身体が大きくなってきたことを考えて介助方法や支援方法を準備するとか、車いすや学習机の高さについて考えて見たりとか。やっぱり、変化に合わせる能力って子どもにも、大人にも必要だと思います。

③卒後の生活
卒後にどんなところに身を置くかによっても、指導内容や求める質の高さは変わるなと思います。その点で、小学部などは「とりあえず今を」となるのですが、中学部や高等部になると、誰がやってもできるようなこと、誰が支援しても遂行できること、ということで夢を見た指導よりも、現実をみた指導になります。いつまでも、「できるかもしれないので、繰り返しやってみましょう」はナンセンスな気がします。たまに、それまでかかわった先生が見落としていたものがあった、新しい福祉用具が開発された、などがあった場合は別ですが。

ということで、発達年齢や生活年齢はありますが、落としどころをどうするか考えるのは変わりないと思います。
今と先を見据えて、自己満足やその場しのぎにならないような戦略を打ち出していければと思います。