担任の先生より

590)特別支援学校 持続可能な指導を考える

自分は子どもにとって有益なものを提供できる!

この技でアプローチできるのは私だけ!

こんな、ありがちな自己満足をどう子どもの日常の支援に混ぜ込んでいくか、いろいろと考えて書いてきました。おそらく、子どもの発達や成長を促す取り組みが、その場や、その年限りにならないようにするにはどうするか考えることが主だったと思います。

今回、子どもへの指導の目標、技術の話ではなく、仕事量的にコアなことをするのは難しくない?という話です。人の力量は知識・技術・経験などで伸びるのかなと思いますが、仕事の質や量を高めるには、相応の環境と余力が残っていないと、実行することが難しいかなと思うのです。

【例えば】
次の授業まであと10分、二人の子どもをトイレ誘導して、始められるよう準備しなければ。
1人の子どもを指導しつつ、応援に入った先生にも他の子どもの指導にあたってもらうという状況。
作らなければならない書類が3つほどたまっている。時間は刻刻と過ぎていくが、明日の授業のために手の込んだ準備ができるか?

限られた時間のなかで完了しなければならないことがある、時間を使いまくれば質や量を満たせるだろうがキリがないです。

【引き継げる?】
ある先生のスキルや経験、教育観や指導目標、作業遂行能力、それらはその先生自身の、独自のものです。その先生がやっていることが普通か並であれば、真似たり、より効率よくやったりすることは可能でしょう。しかし、もしクオリティ高いものだったら、どうでしょう?

引き継いだ、次の先生は「自信ないから」、「力量がないから」などの理由で指導の質を下げてしまうことにためらいを感じないでしょうか?
去年の先生ほどできないですと保護者や同僚に公言できるでしょうか?

下げられないなら、無理をしてでも真似るか、それ以上のクオリティを求めるかして頑張るでしょう。

そうなると、無理をして事故を起こしてしまうかもしれません、腰痛などを起こしてしまうかもしれません。すごく時間や労力がかかって、日々の学校生活をつくることを負担に感じてしまうかもしれません。

【すごい指導とは】
私は、学校で行われる指導について、「すごい」と思うのは、子どもの実態とねらいと指導方法が合致しているときです。もっとすごいと思うのは、やっていることはシンプルだけれど、実は緻密な技が組み込まれていることに気づいたときです

試行錯誤と悩みぬいた集大成、効率的で効果的で、一貫性のある指導は美しいと思います。無駄がないものは難しそうに見えないので、誰にでもできるし成果もあがる、それが理想だと思うのです。