学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

598)特別支援学校 指導していない、手をかけてあげていないという批判

最近
「〇〇先生、子どものことをきちんとみていない。」
「積極的に子どもとかかわろうとしない。」
という他の教員を批判している声を聞きました。

教員をしていると、指導観や子どもとの距離感、指導方法の違い、力量の差などによって教員間で摩擦や葛藤が起きることはよくあります。先日のブログ記事でも書いたのですが、ここに子どもの指導ではない、教員という職業観の違いも入ってくるようになってきたと感じています。

【手をかける】
私は、直接的に手をかける、側でずっとついていることイコール正しい指導と考えていません。大事なことは、児童生徒の側にいて手を出すか離れるかではなく、つく必要性の有無で取捨選択すべきだと考えています。

例えばですが、手をつないで欲しいと手を出すからつなぐ、つなげば歩けるから必要だ、としてしまうと先に進めなくなります。

「学校生活を教員の支援によって安全に、安定して過ごせている」、で完結するならばいいのですが、個別指導計画を作成し、できることを増やす、能力を高めると言っている以上、できることを見つけ、可能性を追求しない教員の支援は指導全体を停滞させます。

教員の支援ありきで考えると、課題がいくつか出てきます。
①他の指導方法はないか探求することを許さない雰囲気が醸成される。
②これをしていればリスクがない、誰でもできると無難なパターンで乗り切ろうという集団心理が働く。
③何のために支援しているか、課題が見えない。
④パターンで指導しているので、パターンからずれる状況になったとき、どうしていいか分からなくなる。
⑤できないことは大人が助けてくれると、能動的に動こうとする子どもの積極性や意欲が削がれる。
⑥子どもが大人に依存して、自己有能感や達成感をもつ機会を損なう。
⑦難しいことを克服しようとする力がつかない。
⑦指導の優先順位がつけられず、段階付けや基礎基本につながる指導を見落としがちになる。
⑧どんな支援であっても「できた」と言ってしまったので、能力以上の目標設定から抜け出せなくなる。
⑨大人が子どもとの感情的な人間関係を重視するようになり、学習集団が子どもを甘やかす関係に陥りやすくなる。

どれも見たことがありますが、⑤⑥⑦は、それまでの教員のあり方が強く影響し、依存関係から抜け出すアプローチも含めて指導計画を検討する必要があるので、指導上の負荷が高くなります。更に、周囲の協力が得られないと、自分に甘い教員のところに逃げ込むことになるので、自己有能感より不安から逃避させることを強化していきます。

【ブレない指導のために】
まずは、あるがまま受け入れてみる、です。

かかわりながら、これはできている、これは難しいかなと頭の中で情報を分類・整理していきます。

次のステップに進ませるために、スモールステップでどんどんレベルの高いものを試していきたくなる場合がありますが、自分でするだけの自信のなさ、その場を乗り切ることに不安があると、尻込みをしたり、拒否をしたりすることにつながります。なので、まずは全介助に近いところから始めます。

それから
①できることを取り出して、「これをやってみよう」と自分でできることを、色々させてみる。
②できそうなところの支援を少しずつ解除して、課題になるところを明らかにする
③物や、他の手段を使ってできないか考えてみる。(手つなぎ→手すりの使用、など)
④課題となる点(仮説)が他の場面でも見られるか、意識して観察する。

回数や時間をかけることで、「そうなのか」と分かることが増えてきます。

そのなかで、一番達成できそうな課題からやってみて、その子の困難さになる因子を10から9、9から8へと減らしていきます。そうして、どうしても難しいことが「介助などの支援が必要なところ」になるのだと思います。

【選べない】
何が問題なのか、どこから始めればいいのか選ぶのが難しいことがあります。そんなときは、経験ある先生と検討してみる、理学療法士や作業療法士などの専門職を活用してモヤモヤを解き明かすことで、霧が晴れてくることがあります。そうして、スッキリする答えがでなくても、その子を理解しようともがいた過程は、きっと他の場面で、その先のどこかの場面で活きてくるはずです。