作業療法士協会が発行している協会誌(JJAOT)のなかで、中村会長は「作業療法士はまだまだ作業療法室や病院から生活の場に出ていない」と指摘していました。
私が病院にいた時だけでなく、それ以前の実習においても、「ADLを見据えた」、「患者さんが帰宅してからの生活を想定して」と言いながら、実際に自宅に行っていないし、結局スタンダードな移乗や衣服の着脱動作を練習して終わりになっていたように思います。
【病院のなかでみたADL】
座位が安定してきたら、よく衣服の着脱練習をしていました。
ポイントとして、衣服全体のパーツを把握して(把握)、どこから(開始)、どの順番で着ていくか(方法)を学習できるか、個々の心身の状態に応じた方法でできているかをアセスメント(評価)するので、ここはできます、ここは難しいですと線引きできても、日常生活を支える支援者に対して説明や助言・指導できていなかったのは片手落ちだったと反省しています。
在宅の場合、周囲に誰もいないとき、1人でどこまでやれるか知ることは大事ですが、支援者がいたらどうするか、少なくとも、この二つが確認されていないと「1人でその場をやり過ごす方法」と「支援者がどこまで手を出して、どこを見守るか」が曖昧になって、自宅で一から確認し直しになっているのではないでしょうか。
【抜け落ちがちな支援者の能力評価】
特別支援学校にきて、思い知らされたのが同僚の教員の力量と体力の評価なしに、日常生活を支えることはできないという点です。
利用者の家族が、どれくらいリハビリテーション室や病棟で説明してもらったことを再現できるか?
誰でも経験があるはずです。
「見せてもらって、なるほどと思ったけれど、実際やってみると全く違った」というやつです。
介護や臨床の実習でも、実際の対象者に触れて、「あれ?どうするんだっけ?」とかなりませんでしたか?
いや、人間そんなもんですよ。
対象者の心身の状態から、助言・指導する側は、「自分ができる、最も効果的な方法を見せることが大事」だと思っているでしょう。しかし、見ている側からすると、「そんな細かいことを言われてもなぁ」、「そんな重たいのに、それは私にはできないわ」と思っていることがあります。目の前で一生懸命説明する人に向かって、「それは難しくてできない」とは、言いにくいです。
【時間軸も加味する】
リハ室などで、利用者さんのためにやって見せる方法は、支援者が自宅に帰って、自分のことをしながら、利用者さんに対して1日に何回もするに耐えられる方法といえるでしょうか?
学校でも、同僚を含む、支援に入る人をみて指導方法を統一しないと、過負荷なので勝手に手続きを省略したり、負荷に耐えきれずに事故が起きたり、手順や物品の管理を間違えたりします。
そのため、日常生活の動作は、自分以外の3人以上ができる技術や方法を用いないと、まず定着しないと思っています。
そのため、支援者の体力(筋力や持久力)、忙しさ、経験、意欲、立場などを見て支援協力をしないと、事故が起きたり、支援者の役割から逃避してしまったりすることが考えられます。
【本当に生活に介入するなら】
実際の生活環境のなかに入ってやってみよう。
40分でなく、それ以上の営みのなかに入り、そのなかでできることを考えよう。
支援方法を自分で決めずに、他の人と「どうする?」と言いながら作ってみましょう。
今、担任という立場で、対象者と動作を評価し、試行錯誤し、積み重ねのなかで成長や変化を感じ、周囲の支援者の力量などを加味しながら支援方法を共有しています。
作業療法士が病院や訓練室から出るには、診療報酬に頼らない利益のあげかた、日常生活に参画できる場の中で活躍できる場や役割を見つける必要があります。もしかしたら、作業療法士や理学療法士の資格だけでは難しいかもしれません。学校の教員免許、介護福祉士、社会福祉士、など組み合わせることでチャンスが広がるかもしれませんね。