教えてもらってやってみる
本で調べて試してみる
何ができるか考えてみる
特別支援学校の指導は「どうするか?」からスタートします。
そのうち、いろいろな指導のパターンを知り、自分が好きな指導の型を身に付けていきます。
子どもについても、こんな子を以前に見たことある、この疾患名の子を知っている、こんな状態の子どもについて、あの先生はこんな指導をしていた…などと経験と観察しながら、対応できる幅を広げていきます。
そのため、引き出しが多い教員は、多くのケースと実践をこなしているので、対応力やリスク管理についても様々な引き出しをもっているので、傲慢な性格や不注意でもない限り、大きな間違いは滅多にしません。
【パターンで指導者するか、評価から指導するか】
挨拶は身振りをいれて、これをして、これをして、これをやったら拍手、など授業巧者はいます。
どんな子の前でも授業ができ、誰が見ても「うまくやっているよう」に見えます。
一見さんなら、うまく子どもをリードし、分かりやすい授業をしていると思えるのですが、そこにいる子どもやST(サブティーチャー)のことを知ったうえで見ていると、「だから何をしたい授業なの?」と首をかしげることが増えます。
たぶん、私はいまだに臨床OTの視点を捨てておらず、本質を見極めようとすることを脇に置いておけないのかな?と思うことがあります。実際、集団の授業は知る、感じる、触れ合うことも重要な学びなので、成果ばかりを気にしてはいけないのかもしれません。
では、何に違和感をもっているかと考えると、この規格化されたような「うまい授業」の雰囲気が、日常生活の指導、ADLの場面などでも同様に営まれていることではないかと思いました。その雰囲気では子どもは伸びないぞ…と。「あそんでいても、やることはやる」教員が理想なんだろうなと思います。
【やることをする人は何が違うか】
「なぜだろう?」と考えられること、「可能性を捨てずに確かめる」ことがデキる教員への近道だと思います。その基盤となるのが子どもを知るための多様な知識です。ある子どもを担当したら、見えていること、経験したことは何か調べて、分かるようになることで質の高い指導が実現できます。(感情論や一方的な決めつけをする人は、独りよがりで的外れなことをする人が多い傾向があります)
正解は1つでないかもしれない、でも、どんな可能性があるか仮説を立てられることが大事です。
自分の中で、明らかにこれだろうという答えを知っていても、あえて他にないか、可能性はないか仮説をたてることが評価(アセスメント)をする能力をアップさせます。
ためしに、ある子どもの状況について、その原因は何か仮説を立ててみましょう。すぐに4つ以上出せたら合格だと思います。1~2個しかなければ、勉強不足です。人に聞いてもいい、本を読んでもいい、とにかくいろんな角度から検証できる視点を養いましょう。
学校は科学的に妥当な解を求めていく場ではありませんが、相応の視点は必要だと思います。科学と経験と学校文化、それらを融合させて取り組むのが理想と思いますが、どうでしょうか?