「勉強する」
この言葉で想像するのは、どうしても学習机や学習椅子を使い、鉛筆をもってプリントか何かを書いている姿を想像してしまうのです。特別支援学校でも、通常学校の学習に近づけたい、健常と言われる子どもと同様の能力をつけさせたい、という希望が保護者や教員の間にあります。
【書くこと】
言葉を獲得することは、思っていることを伝えることができる、日常生活や職業生活を送るうえで必要なことを身に付け、計画をたて、物事を検討するために重要な観点の1つといえます。
ある子どもに書く練習をさせたいという希望が私自身から、保護者から、同僚からでたときに、まず冷静に考えます。無計画な取り組みは喜びにつながることもありますが、終わりのない呪縛、失敗体験につながるリスクも抱えています。科学よりも思いが優先したときこそ、「やってみればいいじゃん」では済まないことを知っているので、あえて客観的にみることが大事と思うんです。
【目標設定】
書くことによって、何を望んでいるのか確認します。
言葉と文字を一致させたい
保護者の希望なので
友だちと同じようにしたい気持ちがある
手を操作する能力を高めたい
手元を見るきっかけにしたい
目と手の動きを一致させたい
文字を使うことを身に付けさせたい
子どもの1つの可能性としてやらせてみたい
細かいことを挙げれば、まだありそうです。
動機づけや目標によって、物事の進め方や考え方が変わります。
すぐにノートやプリントをどっさり用意する前に、初期評価をしたいと思います。
経過や結果が実態に沿ったものであっても、期待するものと違うと不満につながるからです。
【まずは状況把握と観察】
目標や期待するものが分かったら、即書くことではなく段階付けができないか、書く以外にも目標を達成する方法はないか考えます。
それを念頭に置きながら、状況把握と観察を行います。
これまで、すでに書いて(描いて)いたものがあれば、それを見ると分かることが多いです。
担任の先生から聞き取りをして、限られた時間のなかで情報を集めたいのですが、担任の先生から聞くと保護者からの情報の受け売りや、意識せず介助している、できていると思い込んでいる、などがあるので、ここは自分の目で確認するようにしています。確認するポイントはいろいろあります。
目で手元を見ることはあるでしょうか?
書いてどうするか、何を書かせてみたいかというイメージは支援者、子どもにあるでしょうか?
物を握る、つまむ、対立(オッケーマークなど)ができるでしょうか?
言語理解はどれくらいでしょうか?
手の使い方は細かいでしょうか、粗大でしょうか
姿勢の安定や、書くときの基本姿勢はどのようなものを想定しているでしょうか?
自書ができる子どもとの違い(できること、難しいこと)は整理できているでしょうか?
すでに書いているなら、そのときに配慮していることや、使っている道具は何でしょうか?
「書いている」という行為自体に満足したり、自己実現や自己有能感につながることもあり、書く取り組みで何を実現させたいかにこだわるのはナンセンスでしょー、ということもあります。いずれにせよ、書く活動がその子どもにとってどのような位置づけになるか、考えながら指導・支援にあたっています。