担任の先生より

630)特別支援学校 予定を埋める

新年度(始業式から)がスタートして3日経ちました。

校舎に入ること、提出書類を処理すること、児童の様子を見ながら対応すること、職員室内の人間関係も含め、情報が多すぎて頭から何かがあふれてきそうな感じです。

それが、3年くらいすると、これまでどうするんだ?と思っていたことが当たり前になり、「これって、やってみれば分かるし、前の年にやったことがある人に聞けばいいから、引継ぎとかわざわざ要らないよね。」とやりっぱなしで職場を異動や退職で去っていくことがあります。勿論、わざわざ資料を作成しても、埋もれていくことがあるので、作った甲斐がないのも分かります。

問題は、記録がなくて困る人がいるということ、残さなくてもなんとかやってしまう集団特性ではないかと思います。記録を残すのは個人や分掌組織の一部で、組織だった情報管理(運営に困らないよう備える)というのは、お粗末な話です。

【担当会議】
学部や学年を運営していくために、どんな時間割や行事、役割分担があり、それを誰が担っていくのか割り振り、内容を確認する会議が開かれます。話を聞いても、要綱などを見ても、やったことがない面々にはイメージもないので訳が分かりません。あちこちで散見される担当者として挙げられた自分の名前、どうすんねんと思いながら、会議が終わるのを見ています。

私のイメージですが、そのどうすんねんというのは
①どれくらい遠いか、どうやっていくのか分からない国に再来月行ってこいと言われる。
②来月くるという団体旅行客に、満足できる夕食を提供しろと言われる。
③ウェイトリフティングで、始めに何キロからスタートするか知らされないまま始める。
④いくつ鍵があるか分からないけれど、とりあえず金庫を開けてきてよと言われる。

こんな感じでしょうか?多分、初めての会議でクタクタになった先生には、なんとなく分かる話だと思います。

さらに訳分からなくさせるのが、1つのイベントごとに、まずどんな行事内容か、何から準備すればいいのか調べて把握する前に、「私、去年やってみて、こういうところをよくしたほうがいいと思うの。」などと改善案や提案をブチこんでくる人がいることです。

本人はよりよくするために、担当やみんなに周知しておきたいと思っているのでしょうが、未経験の方には、それが妥当なものか、過負荷にならないかとストレスが増大します。さらに、昨年度並みの仕事を調べて進めながら、新たな提案を盛り込むために、意見を出した人をはじめ、昨年度までいた教員への「御意見伺い」をしておかないと、「会議で提案された通りにやっていない」、「私が提案したのに反映されない」と不興を買うことになります。

あのね、会議では、まず基準を明らかにして、始められる状況をつくるために何をおさえればいいか確認するのが先でしょうに。何か変えたいなら、仕事をすすめていく過程を支援しつつ、スムーズに意見が反映されるようサポートするのが前提だろうと、私は思っています。が、大抵の方は言いっぱなしで満足しているようです。

異動のストレスは子どもが変わることだけではありません。新しい職場のルールや運用方法の違い、仕事観の違う教員とのからみ(面倒くさいだけで無益なやつ)も大きいです。

会議によって、未知の授業と自分の学級、担当者配分を思い知らされることになります。それによって、得も言われぬ不安感を覚えるのです。