授業や集会などで、はじめと終わりのあいさつをします。
これって、学校ごとに、学部ごとにやり方が違うんだなぁ、と感じています。
これまで知的と肢体の学部を無駄に渡り歩いてみて、傾向がつかめた気がします。
【挨拶をする理由】
挨拶をする理由は、ざっと挙げて以下のようなものだと思います。
①どんなメンバーでこの場を一緒に過ごすか確認する。
②物事の始まり(When)を意識する。
③何(What)をするのか把握する。
④手続きを通して、一連の流れや順番を学ぶ。
⑤音声言語やジェスチャー(サイン含む)、絵カードで活動テーマなどを共有する。
⑥どの先生が主になるか知り、意識して注目する。
あ、結構ありますね。
だいたい、②をメインでやっているのかなと思います。
だとすれば、内容について多少の違いがあってもイケますね、だと思います。
【あえてパターン化する】
パターンからずれたものを見せられると、「あれ?違う?実はこの後に違うものが入ってくるかも?」と思いませんか?
違う情報を出されると、安心できない揺れが集団のなかに生まれてくる気がします。
同じ口頭指示でも、人が違うだけで関係性もすべて変わってできなくなることがあります。
パターン化されたものを取り組む(聴く)ことで、③やら⑥やらに集中できるのだと思います。
【挨拶の流れ】
通常学校でありがちだったのが、「起立、礼、着席」だと思います。
この中にも、椅子をずらせる、椅子の側に立つ、礼が終われば着席し、ずれた椅子を引くがついてきます。
決まった動きができる、タイミングを合わせる、動きながら声を出す、のも課題になるかもしれません。
特別支援学校で行われる挨拶は、心と身体の姿勢づくり、何に取り組む時間か把握する、開始を意識する、の三点に尽きると思います。
例「手、足、背中、口を閉じて、これから国語の勉強を始めます、れい!」
例「足をとんとん、背中をぴっ、お口を閉じて、手をぱー、これから国語の勉強を、はじめます」
リズムというか、テンポよく姿勢をつくったり、擬音語を入れて決まった動作を促したりするのが面白いですね。口を閉じるのは、無駄なことを喋ってしまう、先走ってしまう児童生徒への牽制でもあると思うのですが、もともと声を出さない子どもがあつまった集団になると無駄な促しになります。
どのようにマインドセットすることが、これから始める授業のために効果的か。
目の間にいる子どもにとって始まることを意識できるパターンは。
今いる学部の文化をどうつなげるか・広げるか。
学校での指導は、定型的なものを踏襲できるか、新しい文化が創造できるかの二つなのかなと思います。