Facebookをみていたら、「Teach For JAPAN」なるものがでていました。
なんじゃろな?と思ってひらいてみると、「すべての子どもが、素晴らしい教育を受けることができる世界を実現」するため、応募段階で教員免許がなくても、教育への情熱と成長意欲のある人材を、独自の選考と研修を経て、公立学校に2年間「教師」として送り出すフェローシップ・プログラム」だそうです。
【教育の課題】
学校現場の教員不足として、失われる教員の命、教育の質の低下、教員の資質能力の停滞、学校教育・教員への不信が相互に関係しあっているそうです。
【社会を巻き込んだ変革へ】
「連携自治体に2年間赴任し、自らキャリアを切り拓き、様々な分野から引き続き教育を軸とした課題解決に取り組み続けます。」とな?
【つまり】
とりあえず、人が足りない。教員免許の有無などの制限をとっぱらって、補充しよう。
どのように教壇に立つかは、現場にやらせよう。人が足りないと言うし、それ使ってなんとかしてね。
かなと。
ここで考えたいのは、素人同然の人が教壇に立つということは、目の前に児童生徒がいる訳です。どこの馬の骨か分からない人がでてきて、子どもも保護者も黙っているでしょうか?(昨今の様子からすると、難しいかと)
教育は受ける側が基礎基本を学んでいけば、行った先の環境で力をつけるための足掛かりとして活かせるでしょう。しかし、指導する側として二年間学校教育の環境で仕事したので多様な環境で活躍できるかといえば、そうは思いません。
なぜなら、学校で教員をするということは、限られた資源のなかで、決められたルールのなかで、全体の輪を乱さないで仕事をするということです。おそらく、枠にはまりきる前に期限を終え、走り切れなかったモヤモヤだけが残るような気がします。
【教員の質】
質を求めると、1日の中で勝負できる機会は2つくらいが限界かなと思います。
しかし、子どもは常に複数いて、担任には学びだけでなく健康や安全、教育課程を守ることが求められています。
突っ走るのではなく、ペースを守って走らないと、指導体制をが維持できないのです。
専門性や指導の質、その基準と観点は教員同士でも違いますし、外から学校を見ている人でも違うでしょう。
「Teach For JAPAN」よりも、「For Japanese school system」のような気がしてなりません。
教員の病気休職の数は横ばいで、潜在的なものを含めても改善がみられません。
今いる教員が普通に仕事を続けられる環境を作ることは、そんなに難しいのでしょうか。