学校の文化

679)特別支援学校 職員室文化(同僚性と閉鎖性)

同族、同郷、同僚、共有するものが強いと思えば思うほど、人同士の結束は固くなるものです。
固い絆をもつ集団は、外に対してどう向かうか。
閉鎖的になる、攻撃的になる、排他的になる、無関心になる、などが考えられます。

中国では、家族のように固い絆をもつ相手を「朋友(ぽんよう)」と呼ぶそうで、血縁がなくても借金の保証人になる、困っていれば世話をするなど、運命共同体のような関係になるそうです。

【朋友のようだった職員室】
昔のようになべぶた式のようだった職員室での人間関係では、横並び意識がつよく、年長の教員の人間味(?)あるOJTのもと、教員同士の輪を大事にして、良くも悪くも均質化された、独特の文化をもっていたと思われます。なべぶたの持ちて以下のつながりは、教職員組合員のリーダーシップも相まって、相互に補完しあうような雰囲気だったと記憶しています。

ところが、教員間よりも教育委員会や管理職側のOJTが強調されるようになり、現場の教員の指導は研修ベース、または専門家の助言・指導が重く捉えられるようになった気がします。統率力が発揮しにくくなった先輩の教員の目と手が行き届かず、多様な価値観をもった人材が教員になって、個々に指導力を発揮するようになりました。私のようなもののほかに、教員免許を持たない人も教壇にたてるようになってきたので、尚更です。

【教員は年々孤独になっている】
担任の先生には年々複雑で、大量のタスクを課される傾向が強くなっています。自分のことで精いっぱい、余計なことを助言のつもりで言うと、「パワハラ」、「同調圧力」と公然と嫌われることが増えてきたように感じます。

ちょうど、近所の口うるさいおじさんが姿を消したのと同じような感じです。

希薄になった人間関係、個々の指導観の違い、ナワバリ意識、これらによって教員は年々孤独になっているような気がします。そうして、ノウハウも経験も十分でない先生が、納得も理解もできないまま多くのタスクを抱え込んで追い詰められるのは、並みのストレスでなないと思います。

「困った時は管理職に相談してね」ということで相談しても、管理できる枠内で物事をおさめたいので、更なるガマンや努力を求められることがあるので、職場で負担感を感じている人の気持ちをもっていくところがなくなっていきます。保護者も自分の子ども可愛さで、教員を支えることよりも、要求や要望を通すことに気持ちが向くようになっていると感じます。

【ドライななかでどうするか】
朋友(ぽんよう)もまた、個人としてどうするか考える傾向が強くなるにつれ、理性的に断るべきと判断したことは断る、などのドライさが見られるようになってきたそうです。

強い結束は、「一緒」を意識することで、心強さをもつ一方、内部の関係が大きく変わること、価値観の否定や変革を良しとしない閉鎖性を持ち併せていると思われます。かといって、個人で仕事を進めていけるほどシンプルな状況ではありません。そのため、互いの関係で物事をすすめるのではなく、何を目標に一緒に取り組めるか対話する能力が必要になっている、と考えています。

ずっと付き合えないけれど、あなたの仕事の情報をあげる、情報を受けてできるところをする、やりきれないところの処理の方法の伝達やサポートを依頼する、依頼を受けるか適当な相談の窓口を紹介する、などです。情報共有、役割分担、相互補完、協働は連携の形です。自分でできるところはする、できないところをアウトソーシングする、持ちつもたれつ、仕事の中身を知って・伝えて能力を高める、これが朋友でない人間関係のなかで仕事をクリアするコツだと思います。