学校の文化 担任の先生より

686)特別支援学校 苦手な同僚も受け入れてしまう訳

思い返せば、一緒に組む先生って、濃い人が多かった気がします。

そのたびに、対立しないよう自分を抑えて観察し、物事の進め方や考え方などを把握して対応してきました。

私にも許せるところと、そうでないところ

容認できる水準と、許容できないラインがあります。

一緒に組むにあたり、この人は自分の許容範囲を越えてくる人かどうか、評価するのです。

【それでも】
それでも、一緒に組むことになったら、どのあたりで共存できるのか把握しないと、どうなるか…。

主張し合いの対立

無視

派閥

陰口

いじめや集団生活を指導する先生が、まさか?と当初は思っていましたが、大丈夫、普通にあります。

共存することで、幼稚なつつきあいを減少させ、子どもの指導や役割分担などの連携、休んだ時のフォロー、意見交換といった基本的な学級経営が可能になります。とにかく、仲が悪くて機能しないのは、頭数的に教員は揃っているのですから、他の学年や学部からの応援は求めることができません。

教員1人欠けたとき、応援を依頼したとき、必ずしも頭数を揃えてくれるとは限りません。「自分の学級なんだし、なんとかしてください」と応援なく、丸抱えさせられる可能性があります。応援がきたとしても、残った担任主導で学級をリードしなければなりませんので、子どもの指導と応援教員のサポートを同時に実施することになります。

こういった、指導体制の不安定さを回避するために、協調と妥協して学級を運営していくのです。他から見れば、「あの先生の指導はどうかと思うけれど、一緒にいる先生も、それでいいと思っているのかしら」と思われるかもしれません。ちょっと違和感があることを認めつつ、相方の先生はガマンしているだけかもしれません。

なので、外から「あの指導をなんとかするように働きかけましょうか?」という提案は、有難くもあり、迷惑でもありです。どんな教員がいても、その先生たちの状況から、理想を語る前に、この学級の先生は何を大事にしていて、どれくらいの変化に対応でき、何が、どこまでできるんだろう?を把握して、できることから進められるような連携が望ましいです。