学校の文化 担任の先生より

687)特別支援学校 1学期が終わりました

1学期が終わりました。

新体制から4か月、慣れてきたこと、見えてきたこと、行き詰まってきたこと、子どもの伸びしろが見えたこと、いろいろあると思います。新人の先生や、新しい分野に来たばかりの先生はどうでしょうか?うまく職場環境にフィットできたでしょうか。

医療分野にいた頃は「評価」、学校にきてからは「アセスメント」や「成果」と状況を把握するときの言いまわしがあるのですが、どちらにしても、対象は子ども(患者さん、利用者さん)だけではありません。

自分自身はどうでしょうか?新人の先生はどうでしょうか?

教員やスタッフは、求められるサービスができて当たり前、事故なくできて良かったでは十分でないと思います。

というのも、求められるサービスは固定的でなく指導観や状況に合わせる面もあるので、主観が多いのです。事故は消極的な指導を続ければリスクは回避できますが、指導上必要なことができたか、指導のなかでどれだけの成果や情報を得ることができたか、もう少し広い視野で評価する必要があると思っています。

日々の営みを安全に進めることができたか。

見通しをもって動けたか。

子どもにとって、教員にとって動きやすい導線や教室環境を設定できたか。

指導の目的や内容を他の教員等と共有できたか。

リスクを予見して動き方を選択することができたか。

効果的な指導のために工夫や改善ができたか。

年度始めより、どれもできるようになっているはずです。やれて当たり前では、よい評価を出すことはできません。多くの教員は、それなりに学級経営を形にしようと取り組んできたはずで、そこには多くのエネルギーが使われています。そこをポジティブに評価することを忘れてはいけません。

【新人教員への言葉かけ】
何をもって良いとするのか意見はいろいろですし、リスクのとり方や指導するポイントによって教員の立ち位置などは大きく変わります。その先生は、何を考えてその位置にいて、どんな言葉をかけているのでしょう?そこを読み取ることが、教員同士がポジティブになれる評価につながります。

例えば、複数の子どもを指導するなかで、誰に重点的について、どれくらいの距離をとって、どこを見ているか観察すれば、その先生のやろうとしていることが見えてきます。新人の先生について、そのあたりの位置取りがとてもうまくできていたので、その後、まったく関係のない状況で「あの時、これこれ、こういうことができていたので、すごくいいと思う。あれは、ベテランの先生でも気づきにくいポイントだと思うなぁ。」

そう言うと、いいか悪いか不安に感じていたとしたら、「これでいいんだ」と、1つ着地点を見つけることができます。もし、前向きに話を聞いているようなら、「あの状況ではあのつき方で良くて、もしこうなったら、考え方を変えて、こんなつき方に変更すればいい」と、より上位の指導方法を提案したりします。

正直なところ、教員は子どもには無理矢理(時に不適切)ほめることをする割に、同僚に対してよさを評価して表現することができていません。それは、管理職にも言えることで、彼らは要求や注文を出し、指導と称して注意するだけで、多くは教員がポジティブになれる評価をしません。なので、能力や立場がある人は、もっと積極的に同僚を承認することが必要だと思うんです。