医師・介護・看護 担任の先生より

695)特別支援学校 人は誰でも老人に向かう

学校生活を送るなかで、子どもは時間割から、教員からの促しや言葉かけから何をするか分かり、1つずつ作業をすすめていきます。作業を行うなかで、独力ではやりきれていないところは支援を受けて進みます。

今、私は教員として支援する側にいます。

ところが、いつか定年などで教員という役割から外れる日がきて、体力は少しずつ低下し、情報を処理したり記憶したりする能力も発揮しにくくなっていきます。

「まさか、自分がこんな支援(世話)をしてもらうことになるとは」自覚できるかできないかはさておき、いつかそう思う日がくるかもしれません。人は誰でも老人に向かうのです。

思えば、20代は2~3日運動して、1日休息をとるペースで生活していました。ところが、今では過負荷は身体へのダメージを残すのみとなり、1日激しく動いたら数日休まないと身体が元のペースに戻れないようになっています。動けているうちは、自分が先々どうなるか知る訳もなく、「能力が低下するのは、必要な刺激と負荷を課すことから離れていくからだ」と本気で思っていました。体力があり目標をもっていると、本当に強気でポジティブです。

話は「現在」に戻り、若いときからどうなっていくか、その過程を体験して理解できていますが、その先については当然理解できず、自分の親世代の心身の変化を見て、「そんなものなんだ、へぇ~」と言っている程度です。しかし、先にくるものだというのは理解できるようになっているので、今からできることは何だろう?と考えるようになっています。まさに、親世代を見て、自分の老後の準備をするようになったのです。いや、直面しないと人なんて、なかなか動かないものですよ。

【学ぶ】
特別支援学校では介助技術が絶対に必要になります。自分のもっていた介護技術は、介護保険開始当初のホームヘルパー2級と、少し行った訪問介護程度の財産で成り立っていました。そうなると、自分がしていることは今もなお安全で合理的で、時代に合ったものだろうか?と思うのと同時に、していることを先輩として後の世代に伝えていってよいものだろうか?という不安にも駆られるようになりました。そこで、介護系の資格を取り直したのですが、「今」を知ることができたのは大きかったですし、医療的ケアに関する技術を更新することができました。

支援する側と、してもらう側、それぞれの立場を考えながら仕事をするようになって、前より自分の能力が高くなったと実感でき、後輩等にやっている指導方法や支援内容をポジティブに伝えることができるようになりました。

理論と実践と反省の繰り返しで、しばらくは介助される側と介助する側としての自分のスキルは上がると思います。あとは、介助してくれる人をどう育てるか…です。それは自分のためですし、超高齢社会を生き抜く現代の日本人に課せられたミッションでもあると思うからです。