2022年7月27日の朝日新聞の記事に、「秋葉原殺傷 死刑を執行」とでていました。もう、14年もたつのかと思って見ていましたが、その日は友人と東京に出てきていて、1人が「事務所のパソコンのキーボードが壊れたから、秋葉原に買いに行きたい。」と言いだしましたが、「時間が中途半端で、ランチの時間がうまくとれないから、やめておこうよ。」というのが決めてとなり、秋葉原行きは中止になりました。
記事には「両親も同僚も信頼できず、さみしかったはずだ。大それた事件を起こし、注目してほしかったのかもしれない。そういう自分の弱さと向き合い、心からの反省を聞かせてほしかった」今年8日には、安倍晋三元首相が銃撃された。「この社会はまた犯罪者を生んでしまった」と書かれていました。
自分と同じようなことを書いているなーと思いつつ読んでいましたが、事件が起こり、罪を犯した人が罰せられて、具体的に何も改善しないまま終わってしまうのだろうか、と思っています。
【学校との対応の違い】
学校では問題にかかわった子どもの状態を把握し、「なぜ、そうなったか」、「それを受けてどう対応するか」、「その後、どんな方針や指導が必要か」などについて検討されます。
学校の対応は甘い(理想論)なのか
学校は本来の適切な問題解決の過程を経ていると考えるか
校外で起こることは、対応を検討する範囲が広すぎて、効果が分からないだけなのか
成人の犯罪者への対応は冷たいと見るのか
学校での問題と、社会で起きる犯罪に対する対応の違いについて考えてみようと思いましたが、なかなか難しいと書きながら思っています。犯罪そのものの影響はさておき、犯罪者予備軍をどう作らないで済むか、人はどこに帰属意識をもち、誰(何、どこ)に依存し、どんな表現をしていくかが重要だと思っていて、感情ある人間としての居場所をどう作るか。
とりあえず箱ものや担当を作ってやらせる前に、身の回りの人を大事にしてみる、身近な人に感謝してみる、このあたりをやってみることで、救われる人は随分いるんじゃないかなと思います。