医師・介護・看護 学校の文化

706)特別支援学校 家族を支える訪問看護

宿泊券をもらったので某ビジネスホテルで一泊し、本を読んだりテレビを観たりしていました。
テレビを観ていたら、重症心身障害児を支える訪問看護みたいなタイトルで、家庭の様子が映されていました。

家族は夫婦と、医療的ケアを必要とする子どもと双子の兄弟がいて、そこに看護師が訪問して医療的ケアや入浴介助、療育活動(折り紙など)をしていました。看護師がいる間、母親は調理などをして、父親は双子の兄弟を連れて、買い物をしていました。

1人サポートが入るだけで、個々の活動が成立するのが分かります。とても重要な役割を果たしているんだと思いました。

【看護師さんのコメント】
訪問看護を通じて、「家族が育つこと」のようなことを言っていて、家族の形が作れるように支援することが大事だと言っていたように思います。(ウロ覚え)

この看護師さんは、子どもにかかわりながら、この家族に専門性を発揮する忠誠心をもって働いていると感じました。それを見ながら、私には違和感があって、なぜだろう?とモヤモヤしていました。

学校と訪問看護を比較してみました。

場所:学校と各家庭

対象:子ども

体制:集団と個別

支援体制:複数と個人

時間帯:日中と一定時間(1時間など)

専門性:多岐と一定範囲

支援内容:多岐と一定範囲

忠誠心:組織と対象者(環境を含む)

学校の教員として、対象となる子どもを支援していると言いながら、組織が定めた枠組みの中で、定められた観点を盛り込むことを強く意識しています。そこには、組織的対応と、利用者本位という時に相対する価値の板挟みになった教員の葛藤が感じられました。

また、訪問看護では家族の時間を作ることで、家族は落ち着いて日々の活動をすすめることができたと言えますが、教員には成果を他に求めることが難しいところがあります。それは、生活を落ち着かせたのは家族であって、あなた(教員)は何をしましたか?という成果を問う意見です。

本来、指導で成果を出すには、成果を出す当事者の変容を期待して、直接指導したり、環境を設定したり、環境を調整することに尽力しますが、学校では直接的に働きかけたものしか認めない傾向があって、それらの専門的な指導を認めない傾向があります。このことから、「何をやったので成果が出た」という「刺激→反応」みたいな評価でなく、どんな戦略を立てて支援してきたかが、もっと評価されるようになったらいいなと思いました。