担任の先生より

722)特別支援学校 環境、子ども同士で学びあうって大事

忙しさにかまけて、久しぶりの投稿になります。
先日、外国の親子に、子どもが遊べる施設を案内してきました。

その子どもはまだ年少さんくらいなのですが、来ている他の日本人の子どもと比べて、どこか違うと感じていました。

例えば

譲れない

待てない

我慢ができない

気に入らないと大声を出す

他の子が遊んでいる場と、自分がいる場の区分けを見ない

年少さんなんだから、そんなものかなとも思いました。
が、それだけではないんです。

何でも大人が介入してしまうので、子どもにはワガママが通る可能性を常に残す感じになっていますし、親が「ならぬものは、ならぬ」と人間関係や社会性を含めて許されないところに線を引くことができていないのです。

親が常に逃げ道になっていると、結果責任を負うことがありません。
勝手を言い過ぎて気まずい思いをすることや、人間関係を損なってしまう経験がほぼありません。

子どもの主体性は、感情や欲求の赴くままでは育まれないと思いました。
ある枠組みのなかで、共生することも含めて、どう自分が自律しながら成長していけるかが大事ではと思います。

国民性や民族性もあるかもしれませんが、この子にして、この親ありが続いたとしたら、この子は日本人社会の中で生きていくのは厳しいのではなかろうか…と感じました。

教員はどうでしょうか。

学校という社会の中で、子どもが共生するために必要な観点や線引きをしているだろうかと思います。その子の特性がそうだから、もありますが、やはり示すことをしないと分かる日は来ないのではないかと思うのです。とはいえ、そんな教育観をよそに、その場の感情で批判する保護者もいらっしゃいます。

なので、難しい面もありますが、障害の有無や特性があるからと、伸びっぱなしの人間性でギフテッドの子どもが幸せになれるかというと、そうではない気がするんですね。