「できないこと、難しいことを大人に伝えて手伝ってもらう」
障害に基づく困難さを、支援によってカバーするのも自立の1つと言われています。
学校でも、間違うくらいなら、分からなくて動きが止まってしまうなら、支援を求めましょう、ということが推奨されます。この態度は、卒後の就労支援にもかかわると言われています。
ある子どもについて、「不安になったら手伝って」、「分からないから手伝って」という状態をどう克服するか、でした。荷物の整理やADL(日常生活動作:着替えや排せつなど)には何をどうするかといった段取りや、必要な身体能力(筋力や関節可動域、姿勢保持能力など)が必要です。
介助を受けながら、どんなふうに動いているか評価しているうちに、「どうも違うぞ…?」と思うようになりました。「できるADL」と「しているADL」の差が大きすぎるのです。
【厳しい一手をうつ】
できることはできる、それを確認するたびに、「すごい、自分でできますね」と伝えながら、だんだん支援する手を減らしていきました。できることなのに、「手伝って」も応じないようにしました。繰り返しお願いすれば聞いてくれる、時間がかかれば根負けする、かわいくお願いすれば懐柔できる、そんな曖昧な可能性を排除する必要があると思ったのです。
「しかたない…」
彼は逐一教員に助けを求めていくことを諦め、だんだん自分で行動するようになってきました。しばらくの間は、自主性や主体性の力でパフォーマンスがあがっていたのですが、次第に大人に謝るようになり、手が止まり、できていたこともできないようになっていきました。
【なぜか】
これまで、大人に行動のヒントや支援を受けながら進めていたことなので、全般的に「できる」と思っていた、または「実はできないところに気づけていなかった」のではないかと思いました。自分主体でやっているうちに気づいたこと
①何をするか優先順位を決めて進めることが難しい
②準備と片付けが分からない
③衣服の表裏、左右、上下、どこから手や頭を入れるか判断できない
④かばんを閉めること(方法と力の入れ方)が分からない
【対応】
見守りだけでなく、指導・助言をしながら進めることにしました。そうすることで、不安そうな表情になることが減っていきました。
思い返せば、年度当初は説明しても、「やってくれるならラッキー、お願いしまーす」でしたが、当事者意識をもって説明を聞けるようになりました。
また、衣服について、どこを見ればいいか、保護者に印などの手がかりを作ってもらうようお願いしました。私たちも、絵柄のプリントが両面にあれば、どっちが前?と迷いますし、ボタンなどがなければ前と後ろの区別がつきにくいことがあります。私たちは首の後ろのタグ、広げて縫い目がどこにあるか、絵柄はどっちにあるか、ポケットのつきかた(位置と角度)などで衣服に関する情報を把握します。
目の前の子どもは、どこで難渋しているか?評価することで練習する意味があるか、介助するか判断することができます。
そのあと、実際に「支援する」、「支援しない」、「どこを支援する」などは担任などの教育観や指導の優先順位、指導体制の充実度に左右されます。