「教室マルトリートメント」という本があります。
マルトリートメントとは、不適切な関わり・養育という意味らしいです。
この本では、教室のなかで使われがちという毒語が紹介されていました。
毒語とは、「脳に影響を与え、発達を阻害する」言葉とのことでした。
【毒語の例】
早くしないと、〇〇させません
ヤル気がないんだったら、もうやらなくていいから
何回言われたら分かるの?
「じゃあ、もういいです」、「さようなら」
などです。
【発達とは】
広辞苑では、発達について「個人が時間経過に伴って、その身体的、精神的機能を変えていく過程であり、成長と学習を要因として展開される」と書かれています。発達のありようは人種によって、国によって、価値観や倫理観などの違いなどによって様々です。
とすると、毒語が「発達を阻害する」というのはおかしい気がします。私は子どもの頃、教員から体罰を受けましたし、暴言を吐かれ、辱めを受けたこともあります。それでも、私の発達は止まらなかったし、それなりに変化していきました。私は発達を阻害された子どもだったのでしょうか?
「子どもは必ずまっすぐに伸びるもの」だとすれば、大人からの圧力は、それを阻害するものといえるでしょう。
しかし、子どもは社会的に未熟な存在で、自己中心的な一面をもっています。誤学習もしますし、間違いもあります。感情的になること、大人からの刺激をあえて求めることもあります。まっすぐに伸びることを促すだけの指導は、どこまで通用するのでしょうか?
【私見】
特別支援学校で働いてきて、大事だと思うことは「帰属意識」、「主体性」、「社会性」です。
言われるがままに行動することが良いのか?
自分がどこに属していて、そこにいるために何をしなければならないか?
集団や社会の中で生きていくうえで、どんなスキルやルールを守らなければならないか?
学校は個別性もありますが、基本的に集団生活の場だと思います。
それは、学校を卒業してからも続くと思います。
先を見通すことが難しく、今の快・不快で物事を判断する段階の子どもたちに、理屈は通りません。
今の彼らを納得させる働きかけをして、現在と将来の環境適応を促すことが必要なのです。