学校の文化 担任の先生より OT・PT・ST

741)特別支援学校 作業療法士の専門性が求められている、という文言

近年、様々な専門家が特別支援学校に導入され、それを活用することが仕事になっている。

予算がつき、学校に配当され、校内の専門家を担当する部署が「誰を呼ぶか」、「どれくらいの時間やってもらうか」「どこで活用するか」計画を立てます。

そこには担任や現場のニーズは関係なく、年度始めに学部・学年に「こんな人が」「この日時に」くるので、誰を対象にするか報告してくださいとアナウンスされます。まだ新学期も始まったばかりで、どんな教育的ニーズがあり、どの先生に困り感がでるか分からない段階で、何を専門家に相談するというのでしょう?

年度途中で湧き上がってきたニードが担任の先生からでても、すでに予定と枠が決まっているので対応できないと諦め、自己解決を目指します。予定をたてずに来校日をアナウンスして、適宜活用してもらえばという案もありますが、もし依頼がこなかったら「予算をつけて来校している専門家を遊ばせて、お金だけ支払った」ということになるので、それは難しい選択だといえます。

【誰のニーズか】
「作業療法士の専門性が求められている」

求めているのは誰か、主語がありません。

教育行政からでしょうか
作業療法士からでしょうか
保護者でしょうか
子ども自身でしょうか
教員でしょうか

思いや必要性があると思えば、どの立場からも求められると思います。

ただ、ニードの有無にかかわらず、受け入れ、対応し、実行するのは教員ということが決まっています。

そのため、どこに起因するものであっても、教員が合意でき、実行できるものでなければならないと考えます。

しかし、現実として教育行政、作業療法士、保護者は子どもの方を向いており、子どもに寄り添うことが正しいと考える傾向があります。そうして、子ども最優先になろうとしない担任は理解がない、工夫が足りないと批判されることになります。その理由ですが、担任は子どもを大事だと考えますが、公務員であるが故に忠誠心は組織(学級経営など)にあり、そこに負荷かけてくるものに対して抵抗感や拒否感を抱く傾向があるのです。

【どうすれば有効に作業療法士はうまく機能するか】
子どもを評価(アセスメント)する能力は高く、理由も説明できることでしょう。それはいいのですが、対応策を出すときに、相談された子どもに対して個別対応を求める傾向があります。すべてではないですが、ここに問題があると思います。個別対応できるタイミングの有無、教員のスキルや理解がないと、せっかくのアドバイスも絵に描いた餅になりかねません。

そこで

・担任をとりまく環境の評価ができる

・作業療法士の専門性を発揮することにこだわらない(専門性のおしつけは好まれない)

・評価したことを理由もつけて、分かりやすく説明できる

・担任の教育観や指導観に耳を傾けて考えることができる

・アウトプット(指導)を担任に丸投げせず、フォローできる

・個別指導だけでなく、集団の指導が分かる

思いつくまま書きましたが、上記のようなことに留意できる作業療法士が好まれますし、効果的に機能できると考えます。そうして、学校環境を理解して支援するために、月1回ではなく、常勤で学校に入るためにどうするか考えることが必要だと思います。私は現学校教育制度の枠内でできることと考えたので、専門家でなく教員になることを選択しました。

学校に入るには、思いやニードだけでは難しいです。結局、受け入れの枠と予算がないと話にならず、教育委員会ごとの判断になるのです。