担任の先生より

753)特別支援学校 食べるひとは、片づけて

はじめと終わりが分かること
次を見据えて準備すること

これらは結構難しいことなんだろうなと思います。

だからといって、逐一カードを見せたり、言葉をかけたりするのは教員側からすると大変ですし、子供にとっても言われ続けると、自分で考えたり、判断したりする機会も必要もないので、いつまでたっても力がつきません。また、教員のなかには、そうやって子供をガイドすることで「教員の言葉に応じている」、「素直でいい子」、「教員との信頼関係が築けている」と評価する人がいます。

どこまでできるようになるか分かりませんし、できそうだけれど意外と難しい場合もあるので、見通しをもって動くことを直近の指導目標にすることが、常に妥当とは言いません。しかし、自主的に、主体的に生きる力をつける指導を放棄するのも勿体ない話だと思うんです。

【わかりやすい】
やっぱり、子供の好きなこと、興味関心、生理的欲求をキーポイントに指導するのは強いなぁと思います。

今やっているのは、「給食を食べる前に、片づける」です。

パズルやブロック、人形などで遊びたい、遊び続けたい子供からすると、次にやることがあるので中断してくださいという教員からの提案は煙たいものです。環境の変化も受け入れ難いし、やめたくない、やめたくないと意地になっています。しかし、「給食の時間になったので、食べましょう」ならどうでしょう?

この手は、食べ盛りの子供に有効です。様々なこだわりや頑なさを食欲が凌駕したとき、子供の優先順位がガラっとかわるのです。遊んでいたら、片づけなければ給食が出されない状況をつくり、片づければ食べられることを繰り返し学習します。食べ物でつっているようですが、「自分で活動をとめ、次に移行する」という学びがそこにあると思います。

【給食とは】
なかなか食べ物を食べないので、給食で少しでも食べないとかわいそう。

出されたものは、最後まで食べる。

食べさせるのが仕事だから、それをやり遂げることが本懐。

いろいろな教員の思いや指導観が交錯しますが、一つの見方として、「給食は教材」があると思います。食べるかどうかは、結局子供が決めることですし、給食を食べる機会、給食という食べ物を通して、何を学ぶのか、ちょっと一つこだわってテーマを決めてみると、学べることは結構あるのかなと思います。