別の指導計画などの書類には、「~ができるようになる」などの目標が記載されています。
目標と、それに関する結果や成果が続くのだと思いますが、そこで書かれる「できた」は、どの程度の質や頻度でできているのかは読んでいて、分かりません。
目的とする行動ができた、それで万事良しなのか?というと、最近見た隣の学年の子どもを見て、必ずしもそうではないと思いました。「頑張ったではない、結果だ」のような言葉を聞いたことがありますが、多くは数字に特化した話なのかなと思っています。
【様子】
例えばですが、「学校の靴箱まで、自分で行くことができる」を目指したとします。教室を出るところ、靴箱までを見届ければ「できた」と評価するのですが、そこで目標を達成したと判断するのは早計です。
私が見かけた子どもは、教室をでて、廊下にいる教員を叩いて通り過ぎました。左右にある他学年の教室に入り、出るよう促されながら、靴箱の方まであるいて行きました。担任の先生は遅れて教室から出てきて、方向を間違えずに移動しているのを見ているだけでした。
さて、これはセーフでしょうか、アウトでしょうか?
目標のみを評価して、あとのことをスルーすると言うなら、オッケーになると思います。しかし、子どもには環境を把握し、安全に生活するために必要な知識・技能を身につけることが必要だと思います。
【もし】
もし、あなたが歩道にある信号待ちをしていて、後ろを歩く人がいきなり頭を叩いてきたらどうでしょうか?
合理的配慮があるから、仕方ないと思いますか?いえいえ、おそらく不安や恐怖や怒りの感情が起こってくると思います。
私なら、「なんだアイツは?」と思ってイラっとすると思います。
道行く人が、通り道だと言って、あなたの自宅の庭に入り込んできたらどうでしょうか?侵入罪でしょうか?
もし着替えなどをしていて、それを見られたと言うなら別の罪状がつけられそうです。
私なら、まず「どうやって、私有地から出すか」を考えると思います。
【どうみていくか】
まず、目的に向けてどうするか、目的意識の保持や持続ができるか考えます。注意散漫なら、自制することも必要だと思います。そのあたりの能力が普段の学校生活のなかで、どれくらい達成できているか評価(アセスメント)することが必要です。
「まずはやらせてみよう」も目的をもった評価をするために必要なことがありますが、日常的に他者に迷惑をかけるなら、自重して、より低めの目標設定をしていくことが必要だと思います。
本人ができるために協力して、これくらいいいじゃないか、は担任自身の身勝手な意見です。小さくても社会の一部なので、何が許されて、どこが許されない範囲か基準を教えることは支援者の責任かと思います。