すみません、今回は憂さ晴らし記事です。
ヤフーのトップ画面に、「教師をもっと普通の職業にすべき」という記事が出ていました。いよいよ、こういった記事が出るようになったかと、最近のニュースを見ながら、あれこれ考えています。
【記事の概要】
教員不足が深刻な問題
ストレスのかかる長時間労働が当たり前の職場
希望を持って教員になる学生が減っている
これをふまえつつ、教員免許をもっているけれど、教員になりたいと思わないという三重県の女性が登場します。
まずは、「公立校の教職を公務員じゃなくした方がいいと思っている」と述べ、「教員は最低限の学力と一般常識を教えるための職業だと思っていますが、残念ながら現状は多くの教師がそれを果たせていないのではないかと感じます」と言っています。
その他、一般常識不足を挙げ、一般企業などで社会経験を3~5年ぐらい経験してから教職に就くというインターン制度的なものがあれば良いのでは(以下、略)」とのこと。
最後に、「日本の未来にかかわる教員不足の課題。少子化対策同様、小手先ではない実効性のある改革が求められている。」で締められていました。
【交通整理】
この記事では、個人的な解釈に基づく課題意識やネガティブな状況が列挙されていると感じました。
まず、それぞれの問題が何に起因するものか、分析されていません。問題は「現場の教師がよくない、改革で教員を公務員なんかにしておかず、引きずりおろせ」でウサ晴らしをしているみたいに感じます。私も、今の学校の状態を見ていて、学校教育にこだわらず社会教育として寺子屋の時代に戻したほうが、幸せになれるんじゃないかと思ったことがあります。
まず、教員を公務員ではないようにしたらどうなるか、ですが…。
正直、教員を公務員でないようにしても、体質や内容は郵便局と変わらず、待遇の引き下げと競争原理が働くだけじゃないかと思います。教員の評価は勤務実績と勤務態度、「できた」と数値で行われることでしょう。
また、教員の仕事は文部科学省と各都道府県が指示して行われる、公的な職務で形づくられています。そこへ、現場の教員が工夫して、生身の人間である子どもが飲めるように調理や工夫、時間的な滅私奉公、教材費用の持ち出しによって、指導として成り立つよう努力しています。
教員が公務員でなくなったら、「全体の奉仕者」でいる必要はないので、与えられたマンパワーと経費で指導を行い、それ以上は責任の範囲でないと言ってもさしつかえないと思います。(言っても、いいのかな)
インターンシップは、私も以前考えたことがあります。学校という守られた社会から、巣立っていく子どもだちが生きていく世界を見ておくことは、有意義だと思います。しかし、その先生が抜けた穴は誰が埋める?
また、インターンシップによって、学校が非常識なまでにブラックな職場環境だと確信をもってしまいます。もう戻りたくないと辞めてしまったら、その穴は誰が埋めますか?
今の学校の先生の数は、随分昔の学校の状況を勘案して定められたものです。一言いえば、みんながハイッと言っていたので成り立っていた数です。今はどうでしょう?魅力ある仕事かではなく、現場に持ち込まれている仕事に対して妥当な投資が行われていない、それだけの話です。
投資額を抑えたければ、どこに、どこまで投資の配分を行うか決めることが必要です。その配分が行われていない、それだけの話です。