学校の文化 担任の先生より

769)特別支援学校 授業づくりの文化の危機

先日、男だけのプチ宴会で、授業づくりの技術や考え方についての話がでました。

焼き鳥や、飲み物が運ばれているなか、「先生の授業って、計算されてますよねー」などと5年目くらいの男子が言い始めたので、それを黙って聞いていました。

【授業づくりの伝承の危機】
ここ何年も考えていたことですが、授業の意味や工夫について話し合ったのは、一定年数の経験を積んだ先生とばかりでした。

同じような世代なら話が合う、というのもあるかもしれませんが、それだけではありません。子どもの実態について把握できているか、授業のなかで何を学ばせたいか(抽出)することの意味が分かる、学ばせたいことを提示するにはどんな設定が必要かといったことですが、ある程度のベースがないと対話にならないのです。

自分で計画から実施して評価するまでを全部自分でやるのなら、誰に相談するでもなく、勝手にすればいいでしょう。しかし、自分の指導観や指導するうえで大事にしていることを告知しておかないと、うまく協力してもらうことができません。自分が不在のときに、ズレた指導が行われても文句は言えません。

若手にも丁寧に説明して、同じように理解を求めたらいいじゃないかという意見もあるでしょうが、そうはいかない事情があってしない(できない)のです。

【教員の職場環境の変化】
昔は、やりながら他の教員の話をして、随時アイディアや疑問を出し合いながら授業を作りだしていきました。

そのなかで、昔の授業を作ったときのエピソード、教員の処世術、学校教育環境の変化、人間関係なども聞くことができました。しかし、今はそうではなさそうです。

①働き方改革のかけ声で、話をして職場に残ることがはばかられるようになった。
②飲み会的なものが、感染対策、プライベートな時間の尊重などにより、実施しにくくなった。
③個々に多様な仕事を抱えるようになり、効率性を重視するようになった。

④パソコンを使った文書作成の量が増え、一緒に何かをするという時間が減っている。
⑤上司や年長者による価値観の押し付けと解釈されると、パワハラに該当するかもしれない。
⑥文化を生み出すよりも、テクニカル(見栄えはいいが、中身がない)な授業が増えた。

⑦質の高い授業をする指導力があることより、対外的なアピールをする教員が重宝されるようになった。
⑧子どもの実態が多様で、障害像も様々であるため、簡単に指導方法を踏襲させることができない。
⑨仕事が増え、教材準備にかける時間がとれない。(こだわると、自分の時間が激減する)

上記のような理由で、「分かっているのに話せないんだよね」ということになりました。どうすればいいかというと、効率的に仕事を済ませて時間を確保すること、情報の伝達がはばかられる雰囲気を軽減することでは思います。

私自身、たくさんのクセの強いベテランを組んで授業をしてきましたが、それを発展させて実施する機会がほとんどありませんでした。インプットがある程度できたらアウトプットだと思うので、それができる環境はどこ、今後も求めていきたいと思っています。