学校ごと、学部ごとに一年間の学習計画が違うので、「この学校でやっていた」でも、「この学校では、それと違うことをしている」というのは、よくあることです。
国語や数学(算数)などのテーマが決まっているものは、時間枠や授業時間数に大差がないので、そう変わらないと思います。しかし、総合的な学習の時間、生活単元学習などは学校や教員の裁量で設定され、あるものは学校の文化として定着し、あるものはルーティン化して継承されるものだと感じます。
授業として菜園を取り扱うには、耕作するための土地(プランターなどを置く場所)、道具、人材が必要だと思います。田舎で土地がある学校では、学部ごとに畑が準備され、近所の農家の方の支援を必要に応じて受けられるところもあれば、新築の校舎で、水や泥はけを想定していないから畑などの栽培は禁止だという学校もありました。道具はありあわせを調整すれば、なんとかなるかもしれませんし、予算で購入すれば、次年度の半ばから補充されることでしょう。
ただ、実現するには一定の知識がある教員がいて、更にその教員とほぼ同じくらいの理解度のある教員が必要だと思います。なぜなら…。
まず、一人で運営すると、その先生がいなくなると立ち行かなくなる点が挙げられます。ちょっと出張、ちょっと病休になると、すぐに混乱(または放置)します。異動でいなくなると、後が続きません。
また、学年などが一斉に集まって授業するならいいのですが、半分に割って活動する状況がうまれると、誰がもう一方の集団を指導するんだ?となります。
そのあたりに無頓着な現場だと、その年、その年をやっちらかして、現存のメンバーでできることをやって、切り抜けたらよし、になりがちです。個人的には、継続して運営される学校としてどうなのか?新規に入ってきた異動者や新規採用の先生に対して無責任過ぎないか?と思うのですが、個々のタスクに追われて、とにかく計画よりも切り抜けることに目がいく職員室では、そんなことは言っていられないようです。
【耕作】
スタート(耕作地づくりと種まき)から終わり(収穫と片づけ)の計画をたてることが必要です。種を蒔く時期を見ないでいると、スタートからの見通しがたちません。消毒や特定の肥料を要するものだと、誰がいつ世話するんだという問題がでてきます。世話や収穫が夏休みに重ならないか、確認していきます。
一年の流れがきまったら、どれくらいの授業時数を菜園にあてるか確認します。耕作だけでなく、行事やピンポイントのイベントで授業が結構埋まりますので、教員の授業以外のノルマがないよう授業のコマが確保できたらと思います。
【人材確保】
その授業がガラパゴス化しないために、複数の教員を担当にしています。分業ではなく、計画、段取り、手続きなどを逐一確認しながら、一緒に授業を展開する形がとれたらと思います。中には、みんなの負担が…という方もいますが、菜園だけでなく、他の授業の準備でも「私は担当じゃない」、「担当だから、自分がやらなければまわらない」と言わずに、チームを作り、相互補完することで、仕事について不慣れな教員が苦しい思いをしないよう配慮しています。
【目標設定】
チームがあれば、その授業ごとに「何を、どこまでするか」の共通認識ができます。今回の授業は、「畑の場所を子どもと教員が把握すること」「土に触れること」が目標なので、テクニカルな農機具の扱いや、先々の展望まで説明しなくていい、時間枠をふまえてグループ分けをしよう、1人どれだけの経験をすればオッケーということにしましょう、と合意のうえで授業の機会を迎えることができます。
余談ですが、昔、授業を丸投げしていたベテランが、授業の後の振り返りのなかで、「こういう所は、こうするべきだったわよね」「この子が活躍できなかった」と苦言を呈して、場が冷めたことを覚えています。
これは「担当が責任をもって授業をすべきで、教員集団と子どもが満足することをやれ」という縦割りサービス的な発想だったのでは。時間がもっとあった時代では、こういった授業づくりの試練を乗り越えることもアリだったんでしょうが、今は経験や知見を咀嚼する時間が失われつつあるので、効率的に仕事をさばきながら、日々の営みを無理なく進めることが必要なんだろなーと思います。