ショッピングカタログを見ていて、学校の職員会議であったことを思い出しました。
カタログに出ていたのはスリッポンです。前半分は靴のようですが、かかとがなくて、すぐに履け、すぐに脱ぐことができる履物です。
学校であったエピソードですが、あれは生活指導部が職員会議でやっていた、避難訓練か何かの反省だったと思います。その時に出たのは、「避難誘導するときに、スリッパを履いているのは、転倒などの事故につながる可能性があり、スリッパに類するものも含めて禁止」だったと思います。
おそらく反省かどこかで出て、それを分掌会議で話し合い、安全のための配慮として禁止しよう、ということになったんだと思います。(その場で出た、思いつきの案ではないということ)
【よく考えたか】
このとき、ルールを設定した理由は、「安全に避難するときの妨げになる、だから禁止しよう」でした。
そこを指摘する前に、なぜスリッポンなどの履物を履いていたのか考えたのでしょうか?
おそらく、そこは考えていなかったと思われます。
まず、生活指導部の主任をしていたのは知的障害部門の教員で、肢体不自由部門の教員ではありませんでした。生活指導部の仕事は、「安全に避難訓練をするために、どうするか」考えることが仕事なので、そこに特化したものの考え方をします。目的は一つで、それに対する答えを出すことで、彼らの仕事は達成されることになります。
よくスリッポンなどを使っていたのは肢体不自由部門の教員です。なかには、靴のカカトを踏んで潰していた先生もいました。なぜかというと、重度の子どもは床でなく、床の上に敷いたマットの上にいることが多いです。彼らを介助し、車いすに乗せるとき、車いすから下ろすとき、教員はその度に自らの靴の着脱を行います。
毎日、何度もマットとフロアを行き来する教員が、普通の靴を履くとなると、効率が非常に悪い。靴をちゃんと履こうとすると、子どもから目が離れる時間や機会が増えます。急ぐときに靴をきっちり履いていていいのかと思われ、中途半端に履くとかえって危険です。
そうなると、靴をきちんと履くということをルール化するのは妥当なのか?という疑問がわきます。しかし、それについて異論はでませんでした。職員会議で出たものに異を唱えるということは、どんな理由であれ「こうしましょう」と決めたことをひっくり返そうとする行為です。部で決めたことに反論するだけで、自分たちの決定に難癖をつけるのかと(感情的なもの、同調圧力も含め)、嫌われることが考えられます。
そういった理由で、「スリッポンは禁止」となりました。実際守られるか分かりませんが、真っ向から「職員会議で決まりましたよね」という人がいたら、反論できないでしょう。だって、全体で決まったことですもん。
一つの課題に対する対応について、副作用や他に現れるリスクが10あっても決めてしまう、縦割りのよくないところだなぁと思います。視野を広く、個々の実態をふまえて、なんてことを言っていたら、何も決められないじゃない、と言われるかもしれません。問題はそんなことではなく、明らかにマイナス面のほうが多いことを平然と持ち出してくるのは恥ずかしくないか?ということです。
カタログを見ながら、スリッポンは肢体不自由部門のお子さんのいる学級に入ったら購入します。履いていて、文句の言われない学校に行けばいいんです。