この頃、新規採用者の仕事のあり方と、外部専門家の支援のあり方について考える機会がありました。
【新規採用者】
初めて「学校」という環境に足を踏み入れ、研修だの授業づくりだの、校務分掌だの、様々なタスクに右往左往している姿が見られました。
今から10年、20年前の間に、随分学校の仕事が増えたなーと感じます。アナログな時代から、少しすつ変化を受け入れることができていれば、なんとかなるのかなと思うのですが、いきなりこの仕事の質と量を求められるのは大変だろうと思います。
それでも、若い人はタスクの概要を把握して、どんどん仕事を片付けていきます。もう、それほど仕事を教えなくてもいいんでないかい?と思えるくらいにです。
ところが、見ていてすんなりいけてないのは
①学校という環境(制度や指導体制、子どもの数など)のなかで使える指導技術の引き出しの数が少ないこと。
②自分が子どもに対して、何をどこまで、どの程度指導したらいいのか、さじ加減を調整すること。
③同僚がやっている指導の意味や価値を捉えつつ、いかに協働するか把握すること。
イレギュラーな場面や、型にはまらない隙間時間の過ごし方は、集団や時間枠、いる場所によって、自分の引き出しを選んで開けることによってクリアできます。そこは、意外と難しいのです。
例えば、歩きたがらない子どもに対してどうするか?言葉をかけるか、気合いでやるぞと伝えるか、今はその時ではないと休ませるか、など対応は様々です。子どもの実態を把握するだけでは足りません。かかわっている教員の体力や価値観、指導目標の所在などによって、対応の仕方は様々です。
また、③について、先輩教員の指導が何を意図して、どんな価値観でその指導方法を選んだか分からないと、いざ自分が指導することになったとき、「何を選択して、どこまで求めるか困る」場面がでてきます。
更に、先輩自身もその学級をもつのは初めてで、試行錯誤しながら日々を過ごしていたり、なんとなく分かってきたけれど言語化できるところまで至っていなかったりした場合、指導の仕方に一貫性がない日々が続くので、新人さん的には困るだろうなーと思います。
【学校に入って支援する人】
学校のなかで、どんな指導をしていくか決めきれていないことがあります。その中で、何を支援するかですが、指導方法を伝えると、指導観や指導体制に配慮しない干渉になったりします。共感することはなぐさめになりますが、何かを目指して頑張ろう!と思う具体的な支援につながりにくい弱さがあります。
それならいっそ
私はこの子をこんな子だと感じている。
この子はこんな感じに育っていくのではと思っている。
この子の伸びしろはこんなところでは、と思っている。
リハ的には、こんな二次的障害がでてくるような懸念をもっています。
この使い方を覚えたら、こんなことができるようになるかも
「やってください」より、実態を捉えてから、何を求めていくか教員が考えていくための手がかりや留意事項を残して終わるのです。「対応するか、配慮するかどうかはお任せします」的な感じになります。教員は専門家に対して依存的になる場合がありますが、結局決めてやるのは先生です。